記念日
 
 
ハボックは走っていた。正直心臓は早鐘のように鳴り響き、一体どれ程まともに空気を体の中に取り込めているのかも
判らない状況だ。もつれそうな足を必死に前に踏み出し、その勢いに引っ張られるように次の足を出す。
「ちきしょうっ、何でもっと早く走れないんだっ!!」
泣き出したい気持ちで必死に走るハボックの目に、ようやくイーストシティの街の灯りが見え始めた。

事の起こりはハボックが随分と長いこと誤魔化してきた自分の気持ちにようやく向き合ったことだった。
ずっと「ボインのカワイイおねえちゃんが好き」と公言してきた自分が、こともあろうに上司で大佐で国家錬金術師である
ロイ・マスタングに惚れていると認めたのはロイのところにひっきりなしにかかってくるクリスマスのデートのお誘い電話の
せいだった。ニコニコと楽しげにスマートに女性に受け答えするロイの姿を見るうちに、ハボックの心の中に育っていく
どす黒い影。それが嫉妬だと認めぬわけにはいかず、しかもその嫉妬が女性にモテるロイにではなくロイにデートを
申し込んでくる女性達に向けられているのだと気付いてしまったからには、自分の気持ちに向き合うしかなかったハボック
だった。
向き合った自分の気持ちは、だが正直ほろ苦さに包まれていて、男くささ全開の自分がどんなに想ったところで叶う
恋とは到底思えず、それならばいっそさっさと打ち明けて派手に散って、年明けには違う部署に放り出してもらおうと
思うほどのものだった。

「大佐、お願いがあるんスけど。」
クリスマスを10日後に控えたある日、ハボックはロイにコーヒーを差し出しながら言った。ロイは書類を書いていた手
を止めるとカップを受け取りながら答える。
「どうした、改まって。」
そう言われてハボックは緊張にごくりと唾を飲み込むと、何度も練習してきた言葉を口にした。
「クリスマスの夜、時間とってもらえないっスか?大事な話があるんです。」
「クリスマスの夜?」
「忙しいのは判ってますっ、でもちょっとだけでいいんでっ!」
驚いて聞き返してくるロイにハボックは必死に言い募る。まっすぐ見つめてくる黒曜石の瞳に、今の話はなかったこと
にしてくれと言いたくなる気持ちを懸命に抑えて、ハボックはロイを見つめ返した。
「だが、お前。明後日から南部に出張だったろう?帰ってこられるのか?」
「帰ってきますっ、だから…っ」
別にクリスマスの日にこだわらなくてもいいのかも知れない。いっそ今夜にでも打ち明けてしまったって構わないのだ。
だが、流石に何かのきっかけがなくてはとても言い出す気にはなれず、また、本音を言えば少しでも女性とのデートの
時間を削ってやりたいという気持ちがあるのも事実だった。
(オレって醜い…)
デートの邪魔をしたいなんて、そんな気持ちのまま告白したところで到底うまくいくとも思えない。ぐちゃぐちゃの気持ち
のままロイの返事を待っていたハボックの耳にロイの声が聞こえてきた。
「判った。それじゃあ、25日の11時。時計台の下で待ってる。」
ロイの言葉に俯いていた視線をあげてハボックはロイを食い入るように見た。言ってはみたものの「クリスマスはデート
で忙しいから無理だ」と言われるとばかり思っていたのに、思いも寄らぬロイの答えがハボックには俄かには信じられ
なかった。
「その代わり待ってるのはクリスマスの間だけだからな。1秒でも過ぎたら帰るぞ。」
「絶対帰ってきますっ!!あ、ありがとうございます…っ」
ロイがどういう気紛れで自分の為にクリスマスの夜の一時間を割いてくれたのか判らない。おそらくクリスマスが
手痛い失恋記念日になることは判りきっていたが、それでもハボックはロイが自分のための時間をつくってくれた、
ただそれだけでも十分だと思って、ロイに頭を下げると執務室を出たのだった。

「待てっ!!その列車、待ってっ!!」
発車のベルが鳴り響く中、ハボックは改札を走りぬけながら大声で叫ぶ。ゆっくりと走り出した列車の最後尾に駆け
寄ると、手を伸ばしてデッキの手すりを掴んだ。
「ま、間に合った…。」
なんとか体を列車に引き上げるとハボックはため息をつく。1週間ほど前から南部に出張に来ていたハボックだったが
出発ギリギリに打ち合わせが入ってしまい、もう少しで列車を乗り過ごしてしまうところだった。
(今日を逃したら絶対打ち明けられない…)
こんな気持ちを抱えたままロイの側にはいられない。だがいきなり転属を申し出たら自分を引き立ててくれたロイの
気持ちを踏みにじることにもなるだろう。
(打ち明けて思い切りふられたら、大佐だって側に置いておけないって思うだろうし…)
そうしたら転属を申し出ても判ってもらえるだろうし、すぐにも替えてもらえるだろう。もっとも離れたところで消せる
ような生易しい想いでもないのだが。
(もう、大佐に口聞いてもらえないかもな…)
くだらないおしゃべりが楽しかった。一緒の空間にいるのが嬉しかった。でも、自分の気持ちを認めてしまったら、もう
隠したまま側にいるのは辛すぎて。
(いいんだ。思い切りふられてクリスマスを失恋記念日にしてやるっ!)
例えロイにふられても他の誰かに恋することなど不可能なのだ。それならばクリスマスが失恋記念日だっていいじゃ
ないか。
そんなことを考えながら、ハボックは列車の向かう先をじっと見つめていたのだった。

突然列車が大きく揺れて、ハボックは咄嗟に前の座席に手をつく。ゆっくりと止まった列車にハボックは不安を覚えて
立ち上がった。他の乗客も不安そうにあたりを見回す中、暫くしてアナウンスが流れる。
『先ほど地震があった模様です。安全が確認されるまで停止いたします。』
「…うそ。」
この列車に飛び乗って、なんとかロイとの約束に間に合うかと思っていたのに、こんなところで足止めを食ってしまっ
たら間に合わなくなってしまう。ハボックは通路を走り抜けると車掌を探して噛み付くように聞いた。
「おいっ、停止するってどれくらい止まってるんだっ?」
「あ、はいっ、そうですね、まだ被害の状況がわかっていませんし、ある程度レールの安全確認が取れてから出ないと
 出発は出来ませんので、まだ当分は…。」
ハボックの剣幕に怯みながらも答えた車掌の言葉にハボックは目を見開く。車掌を突き飛ばすようにして通路を走る
とデッキに出た。ホームがなくてかなり下にある地面を見つめ、それから遠く連なるレールを見る。ハボックは手を握り
締めるとデッキから地面へと飛び降りた。それからそのままレールに沿って走り出す。
(絶対帰るんだっ!)
たった一度だけ、神様とロイがくれた時間。たとえその結果が無残な失恋であっても無駄にすることは出来ない。
ハボックは延々と続くレールの上をただひたすらにイーストシティへと駆けていった。

ロイは走らせていたペンを置くと壁の時計を見上げた。クリスマスの夜の司令室はもう誰も残っておらず、ロイはうそ
寒さにぶるりと体を震わせる。
『大事な話があるんです』
そう言って少しでいいから時間をくれと言ったハボック。
(クリスマスはデート三昧だと思っているな、アイツ…)
実際にはかかってきたデートのお誘いをロイは全て断ってしまっていた。
ロイはため息をつくとゆっくりと立ち上がりコートを取り上げる。そうして執務室の明かりを消すと約束の場所へと
向かったのだった。

「うわっ?!」
ハボックは枕木に足をとられて思い切りすっ転ぶ。膝を強かに打ちつけて、それでも歯を食いしばって起き上がると
再び走り始めた。一体どのくらい走ってきたのだろう。いつまでたっても見えてこない街の灯りにハボックは泣きたく
なる。
「大佐…たいさ…」
呪文のように唱え続けるそれが走る力となってハボックは必死に足を前に進めた。心臓が打ちつける音が耳の中に
木霊して煩いほどだ。ゼイゼイと零す自分の息遣いがまるで死に掛けている人のそれのように聞こえる。
もう間に合わないかもしれない。
そんな考えがふと頭をよぎってハボックは慌てて首を振った。たとえどんな状況でも最後まで諦めてはいけない。
ハボックは痛む足を引き摺りながら必死に前へと進み続けた。

もう11時を過ぎたというのに街はまだ人で賑わっている。ロイはゆっくりとした足取りで時計台のある広場までやって
くるとあたりを見回した。
夕方、出張先に電話を入れたところ、ハボックは出る直前入った打ち合わせに足止めされてかなりギリギリの時間に
飛び出したらしい。比較的東部に近い場所とはいえ、列車をひとつ乗り過ごしたら12時を過ぎる前にに帰ってくるのは
不可能だろう。そう思いつつ、ロイは時計台の下に立つ。まるで判決を待つ人のように、ロイは広場の入口をヒタと
見つめ続けていた。

「灯りだ…っ」
遠くに見える街の灯りにハボックの唇から切れ切れの声が零れる。ハボックは手を握り締めると最後の力を振り絞って
灯りを目指した。もう、足はもつれてちゃんと前にすすんでいるのかすらわからない。それでも必死に走り続けた
ハボックはようやくイーストシティの街へと足を踏み入れた。
「と、時計台…」
時計台は中央駅の広場の中にある。ハボックは広場目がけてヨロヨロと歩いていった。行き交う人に押されて何度も
倒れそうになりながらハボックはようやく広場に辿り着く。きょろきょろとあたりを見回して、それから腕を上げると
手首に嵌めた時計の盤面を見つめた。
「12時20分…。」
『待ってるのはクリスマスの間だけだからな。1秒でも過ぎたら帰るぞ。』
そう言っていたロイの言葉を思い出してハボックは乾いた笑いを洩らす。ほろりと零れた涙を乱暴に拭うと時計台に
背を向けた。
「はは…、失恋記念日に出来なかったな…。」
俯いたハボックがそう呟いた時。
「何の記念日だって?」
突然聞こえてきた声にハボックはビックリして顔を上げた。そうして目の前に立つロイの姿に目を瞠る。
「ど…して?時間、過ぎてるのに…。」
かすれた声でそう呟けばロイがハボックの後ろを指差した。焔を生み出す綺麗な指が示す方向を見れば、そこには
約束の時計台。
「え?なに、あの時間…。」
時計の針はずっと早い時間で止まったままになっていた。
「地震があったろう?そのショックで止まったらしい。おかげで今が何時かわからないんだ。」
そう言うロイの声にハボックが振り向けば黒曜石の瞳がじっと見つめていた。ロイはポケットに手を突っ込むと銀色に
輝く時計を取り出す。
「そうだ、時計を持っていたんだった。これを見ればいいのか。」
そう言って懐中時計を開こうとするロイの手をハボックは慌てて掴んだ。ガッシリと腕を掴むハボックの空色の瞳を
見つめてロイが聞く。
「走ってきたのか?お前ならきっとどうやってでも帰ってくると思ったが、まさか走ってくるとはな。そうまでして私に
 伝えたいこととはなんだ?」
まっすぐに見つめてくる黒曜石の瞳がハボックに言葉を促した。躊躇う間もなくハボックの唇から零れて落ちる。
「オレ、大佐が好きです。」
はっきりと告げる言葉をロイは何も言わずに受け止めた。
「好きなんです、ずっと。」
笑い飛ばされるか、それとも気持ち悪いと軽蔑されるか、そう思っていたハボックの考えに反して、ロイは笑いも軽蔑
もしなかった。ただ1つ、ゆっくりと瞬くとハボックを見つめる。その唇に笑みが浮び、ロイはハボックに言った。
「待っていた、お前がそう言ってくれるのを。」
それからハボックの手を握ると言う。
「私もお前が好きだ、ハボック。ずっとずっと、好きだったんだ。」
そう言う黒曜石の瞳をハボックは信じられないと言うように見つめた。幼い表情を浮かべる空色の瞳に微笑むとロイが
言う。
「お前が好きだ、ジャン・ハボック。これでも今日は失恋記念日か?」
そう言って笑うロイにハボックはヘナヘナと地面に座り込んだ。ガックリと地面に手をつくハボックにロイが慌てて手を
差し伸べる。
「おい、大丈夫か?」
「…うそみたい。絶対フラれると思ってたのに…。」
呟くように言うハボックにロイがくすりと笑った。
「お前、私の何を見てきたんだ。鈍いにも程がある。」
ロイはそう言うとハボックの髪をかき上げる。見下ろしてくる優しい瞳にハボックは腕を伸ばすとロイの体を引き寄せた。
「好きです、たいさ…ダイスキ…。」
そう言って抱き締めれば抱き返してくれる暖かい腕。
一生で一番辛い日になると思っていたその日が、ハボックにとって忘れられない記念日になった瞬間だった。


2007/12/25
 
 
なんかもう、大慌てで書いたのがバレバレって感じというか、ハボだけでなく私も締め切り時間目指して走ってたんじゃないかって気がします(苦笑)
それにしても、ハボ、一体どこから走ってきたのやら…走れ、メロスならぬ走れ、ハボック(苦笑)どこまでいっても犬っぽい…。大体これ、クリスマスで
なくてもいいんじゃないんだろうか(汗)
今回カプ指定をしておりませんのでお好きなカプリングでその後を想像していただけたらって思います〜(おい)