重五(ちょうご)
久しぶりに二人一緒にまとめて休暇がとれた。その内の2日を使ってひなびた温泉宿にやってきたハボック達は、
とりあえず荷物を宿に置くと辺りの散策へと出る。
「あー、久しぶりっスね、こんなのんびりするの。」
気持ちいい、と思い切り伸びをするハボックにくすりと笑うと、ロイはメインストリートから横に逸れていく坂道を
下り始めた。
「そっちに何かあるんスか?」
「さあな。」
ロイは素っ気なく答えてごろごろと石の転がった足場の悪い道をどんどん下りていった。黙って付いてきた
ハボックがふと顔を上げると辺りを見回して言う。
「水の音がする。」
言われて澄ませたロイの耳にも微かな水音が聞こえてきた。
「川でもあるのか?」
そう言って見回したものの立ち並ぶ木々に遮られて確かめることは出来なかった。2人は木々の間を透かし
見ながらどんどん坂道を下っていく。そうするうちにはっきりと聞こえてきた水音で近くに川があるのだと知れた。
「すぐそこにあるみたいなのに見えないっスね。」
ハボックがそう言った途端、視界が開けて眼前に大きな川が現れた。川幅の大きなそれはゆったりと流れて
所々せり出した岩に当たった流れが左右に分かれてはまた一つになって流れていた。
「すげぇ…こんなデカイ川、見たことないっスよ。」
ハボックはそう言うとガシャガシャと川原の石を踏んで川に近づいて行く。
「おい、滑るぞ。」
「大丈夫っスよ、子供じゃあるまい、しっ…っ」
そう答えながら滑りそうになる体を支えるハボックに呆れたため息を零すとロイは視線をめぐらせた。その先に
見つけたものに黒い瞳を見開いて、ロイはハボックを呼ぶ。
「ほらっ、あそこ!」
呼ばれて振り向いたハボックはロイが指差す方を見た。そこには。
川を横切るようにして張られたロープに飾られた色とりどりの魚の群れ。
「すげぇっ!!」
そよぐ風に極彩色の体をひらめかせて青い空を泳ぐ魚たちにハボックは目を輝かせるとロイに言った。
「たいさっ、もう少し近くまで行きましょうよ!」
そう叫んでさっさと川原の石を鳴らして走り出す背中を、ロイは慌てて追いかける。暫く黙ったまま小走りに
走り続けてようやく近くまで来ると、2人は立ち止まって空を見上げた。
「結構デカイんですね。」
「そうだな…。」
近くまで来たので、魚たちが風に煽られてばたばたと尾を打つ音がよく聞こえる。ハボックは辺りを見回すと
ロイに言った。
「ねぇ、コレってどうやって川を渡したんでしょうね。」
ロープに張られた魚たちは大小合わせて100近い数だろう。
「やっぱりロープに魚を吊るしてから川を渡ってあちら側に括りつけたんじゃないのか?」
「えー、だって濡れちゃうじゃないっスか。」
「ボートを使えばいいだろうが。」
「あ、そっか。」
呆れたような目で見られてハボックはへらりと笑った。誤魔化すように川面を見渡したハボックの視線が
川原から3メートルほどの岩の辺りで止まる。
「あっ、あれ…。」
ハボックはそう呟いて目を瞬かせる。ちょっと小首を傾げて考えていたかと思うと、いきなり川原から手近の
岩の上に飛び移った。
「おいっ!ハボックっ?!」
突然の事に止める暇もあらばこそ、ハボックはあっという間に幾つもの岩を伝って行ってしまう。
「危ないぞっ!!」
だが、ハボックは「よっ」と声をかけて飛び移った岩の上でしゃがみ込むと川の流れの中に手を突っ込んだ。
バシャン。
音とともにハボックは空色の塊を川から引き上げる。そうしてにっこり笑うとロイにむかって手にしたそれを
広げて見せた。
「見て見て、たいさぁっ!」
ハボックが手にしていたのは空色のこいのぼりだった。キラキラと零れ落ちる滴が太陽の陽射しを受けて、
光る川面をバックにしたハボックはまるで光の中に立っているように見える。その光景に一瞬目を奪われて
呆然と見つめるロイの目の前で。
「あっ…えっ、うわっ…!」
バシャーーン!
と、大きな水音とともにバランスを崩したハボックが川の中に落っこちた。
「?!ハボックっ!!」
驚いたロイがハボックの姿を探して川を見渡す。すぐさま川から顔を出したハボックにとりあえずホッとしたものの
跳ね上がった心臓はバクバクとなかなか収まらなかった。
「あー、びっくりした…」
「ビックリしたのはこっちだっ!!」
川から上がったハボックがのんびりとそう言うのに、ロイは目を吊り上げて怒鳴る。ハボックは手にこいのぼり
を持ったまま上目遣いにロイを見た。
「…ごめんなさい。」
「まったく、お前は…っ」
濡れそぼたれてしょげ返ったハボックは、大きな体がふた周りくらい小さくなったように見える。ロイはため息を
つくと今来た道を引き返し始めた。
「帰るぞ。そのままじゃ風邪を引く。」
「…はい。」
ブショブショと、水を含んだ靴で妙な音を立ててついて来るハボックを連れて、ロイは宿に向かって足早に
歩いていったのだった。