bittersweet chocolate
「好きですよ、たいさ…」
午後の陽射しの射しこむ執務室。打ち合わせをしていたハボックがほんの一瞬途切れた言葉の合間、ロイの耳元
にそう囁いた。
「なっ…何言ってるんだっ、仕事中だろうがっ!」
愛の言葉を吹き込まれた耳を押さえて、真っ赤な顔をしたロイが怒鳴る。低く掠れたハボックの声が鼓膜を伝って
体の奥深い所にずんと響いたことはナイショだ。
「公私混同するなっ」
目を吊り上げてロイがそう言えば、ハボックは空色の瞳を細めて答えた。
「すみません。でも、言いたくなっちゃいました。」
全然悪びれた様子もなくそういうハボックにロイは絶句すると書類に目を落とした。
(なんでいつもコイツはこうなんだっ!)
ロイはそう思いながらそっとハボックの様子を窺う。ハボックといわゆるそういう間柄になってから結構経つが、
ハボックは付き合い始めた当初から自分の感情を表すのに躊躇とか戸惑いと言うものがまったくなかった。なんの
躊躇いもなく『好きだ』といい、『愛してる』と抱きしめる。そうしてそういった表現になれていないロイはどうしていい
のか全く判らず、結局いつも怒鳴りつけてしまうのだ。『場所柄をわきまえろ』とか『軽々しく言うな』とか難癖を
つけて。だが、本当のことを言えばロイだってハボックに伝えたい。自分がどれほどハボックと言う人間に惹かれて
いるか、どれほど心を奪われているか。しかし、そう思っていはいてもその想いが言葉に載る事はなく、結局ロイの
ハボックへの想いはただ静かにロイの中に蓄積されるに留まっていた。
(なんでそんなに簡単に言えるんだ…)
『好きですよ』と言われたら、自分もそうだと答えればいいのだ。そうは判っていても思うようにはいかなくて。
(くそ…)
ロイは素直になれない自分に嫌気が差して、ぎゅっと目を瞑ると唇を噛み締めた。
随分と昔に出版された錬金術の本を探して古本屋を渡り歩いていたロイの耳に、若い女性のきゃあとはしゃぐ声
が聞こえてきた。何事だろうと目をむければ洋菓子店の前に大勢の女性が群がっていた。何か新しい菓子でも
発売されたのかと近くによって見れば、綺麗なラッピングが施された大量のチョコが並んでいる。
「バレンタインデー…」
ロイはすっかり失念していた恋人達の一大イベントを思い出した。きゃあきゃあとチョコを物色する女の子達の
後ろでぼんやりと立っているロイの耳に色々な声が飛び込んでくる。
「ねぇ、これなんてどうかな?」
「みてみて!スゴイかわいくない、コレ?」
「義理チョコだったらこれ位で十分だよねぇ。」
「ちょっとこれっ、いみし〜〜んっ!」
楽しそうに想いを寄せる相手にチョコを選ぶ彼女達を見て、ロイは自分もハボックにチョコを贈ったら想いを伝える
ことが出来るのだろうかと考えた。思い起こして見れば、今までチョコを貰ったことはあっても誰かに贈ったことなど
一度もない。毎年軍内部だけでなく、色々な方面から山ほどのチョコを貰ってきた。ハボックと付き合うようになって
からはあまり受け取らないようにしてはいるが。当のハボックにはロイからチョコを贈ったはなかったが、ハボックは
甘い物好きのロイのためにチョコレートを使ったケーキを焼いてくれていた。毎年この時期になるとキッチンに甘い
香りを漂わせて、それはそれはおいしいケーキを焼いてくれるのだ。
『はい、オレの愛がたっぷり詰まってますから。』
にっこり笑ってそう言うハボックを思い出して、ロイは頬を染めると慌てて首を振った。そうして女の子達の向こう側
のショーケースのチョコを見つめる。
(たまたま通りかかったからって、他の菓子を買うついでだったんだって言えば…)
ロイはごくりと唾を飲み込むとショーケースに近づこうとした。その時。
「買って贈るのもいいけど、やっぱり本命には手作りよね〜っ」
(手作り…っ)
その言葉にロイは固まってしまう。本当に好きな相手に既成のものを買って贈るというのは邪道なのだろうか。
ロイはそんなことを言った主に問いただしてみたくて辺りをきょろきょろと見回したが、一体誰が言ったのか、
全く判りはしなかった。だが、真実がどうであれ、今の一言がロイのなけなしの勇気をそいでしまったのは明白で。
ロイはぎゅっと手を握り締めると逃げるようにその場を後にしたのだった。
「た、ただいま…」
「あ、おかえりなさい。」
夕方もだいぶ遅い時間になって家に帰り着けば、ハボックがキッチンで夕飯の準備をしていた。
「時間かかりましたね。欲しい本、見つかりました?」
そう聞かれてロイは本のことなどすっかり忘れ去っていた事に気がついた。
「あ、いや…随分捜したけど、なかったんだ…。」
ぼそぼそとそう答えればハボックが気の毒そうな顔をする。
「そりゃ残念でしたね。歩き回って疲れたでしょ?用意できるまでもう少しかかりますから先に風呂入って下さい。」
ハボックはそう言うと吹き零れそうになった鍋に慌てて手を伸ばす。ロイはおざなりに返事をするとキッチンを出て
2階へと上がった。寝室に入るとカチャリと鍵を閉め、上着の中に隠し持っていた袋をベッドの上に置く。そっと
開いたその中には。
「か、買ってしまった…。」
手作りチョコのキットが一式。
あの洋菓子店を後にしたロイは当てもなくウロウロした挙句、やはり同じように女の子達が大勢集まっていた製菓
コーナーで、つい手作りチョコの材料と道具が詰め合わせになっているものを買ってしまったのだった。
『初めてでも簡単!有名洋菓子店のチョコが作れる!』と銘打ったその詰め合わせについていたレシピを手にとる
と、ロイはぱらぱらとめくった。色も形も可愛らしいチョコの写真が並んだそれを見て、ロイは深いため息をついた。
今までお菓子作りどころか料理すらまともにやったことなどない。ハボックと暮らし始める前は食事など外で食べる
物だと思っていたし、お菓子は店で買うものだと思っていた。見れば見るほど自分に作れるのかと自信がなくなって
くる。
「くそっ、ハボックにできて私に出来ないはずはないんだっ!」
ロイがそう呟いて拳を握り締めた時。
「たいさぁ?」
ガチャッと音がして寝室のノブが回る。ロイは慌ててベッドの上に広げたものを袋に突っ込むと、ベッドの下に袋を
放り込んだ。そしてドアに飛びつくと急いで鍵を開ける。
「鍵なんて閉めて、何やってたんスか。」
扉を開けるとハボックが怪訝そうな顔をして立っていた。
「べっ、別に、着替えてただけだ。」
「…まだコートも脱いでないじゃないっスか。」
「これから着替える所だったんだっ」
ロイはそう言うとハボックを押しやって扉を閉めようとする。
「もう、メシ出来ましたけど、どうします?」
「…先に食べる。」
メシと言う言葉を聞いた途端鳴り出した腹の虫に、ロイは顔を赤らめて答えた。ハボックはくすりと笑うと「じゃあ、
すぐ来て下さいね。」と言いおいて下に下りていく。ロイは一つため息をつくとコートを脱いでベッドの上に放り投げ
階段を駆け下りるのだった。
明日はバレンタインという日の午後。
「よしっ!ハボックを絶対唸らせて見せるぞっ!」
ロイは腕まくりをすると、なんだか本来の目的とは若干ずれたことを叫んだ。ロイの目の前には先日買ったチョコ
作りのキットが並んでいる。ロイはレシピをめくるとまあるい団子状のチョコが幾つも並んで皿に盛ってあるページ
で手を止めた。
「このトリュフにしよう。」
ロイはそう呟くとレシピのページがめくれてしまわない様に重石で押さえて作り方に目を通す。
「『チョコレート300gはテンパリングしておきます』…テンパリングってなんだ?」
意気込んで読み始めたものの最初の1行目で引っかかってしまう。ロイは仕方なしにレシピをぱらぱらとめくって
なんとか『テンパリングの方法』と書かれたページを見つけ出した。
「なんでわざわざ別のページに書いてあるんだ。同じページに書けばいいものを…!」
とりあえずやり方が判ってホッとしながらロイはそう呟いた。
「『チョコレートを細かく刻み、ボールに入れます』…刻んで…。」
ロイは包丁でチョコを刻んでいる写真をじっと見つめた。
「丸ごとじゃだめなのか、丸ごとじゃ。」
どうせ溶かすなら丸ごと突っ込んでも一緒じゃないのかとロイは思う。だが刻めと書いてあるのだから、初心者の
自分がどうこう言えるものでもないと思い、ロイは包丁を手に取った。
ダンッ!
板チョコを半分にする。
ダンッ!
更にもう半分。
ダンッ!
そしてもう半分。
「…こんなことしていつになったら細かくなるんだ…」
写真に写っている細かさにするためには死ぬ程刻まなくてはいけないのではないだろうか。ロイはまな板の上の
チョコを見つめるとげっそりとため息をついた。
「そうだ、鋏で切ればいいんじゃないかっ!」
突然ひらめいた考えにロイはパッと顔を明るくすると、引き出しの中からキッチンバサミを取り出した。チョコの塊り
を一つ手に取ると端からチョキチョキと刻み始める。だが。
「溶けてきた…」
手にした部分がとろりと溶けて手の平に垂れる。ロイはむぅと唇を突き出したが、次の瞬間ヤケクソのようにチョコを
刻み始めた。
チョキチョキ。
チョキチョキチョキ。
チョキチョキチョキチョキ。
「くそーっ!負けるもんか〜〜っ!!」
ロイは雄叫びを上げると一心不乱にチョコを刻み続けた。
その後もチョコの温度を測るのに悩み、チョコの温度を保つのに悩み、ガナッシュを作るのに苦心し、ロイがようやく
チョコレートを冷蔵庫に放り込んだときには作り始めてから何時間も経っていた。それでも。
「やっとできた…」
ロイはぐったりとダイニングの椅子に座り込むとぺたりとテーブルに頬をつける。
「錬金術より疲れた…」
そう呟くとはああと息を吐いて目を閉じた。そうしてロイはそのままくぅくぅと眠ってしまったのだった。
「もう食べられないっ!」
ロイはガバリと身を起こすとそう叫んだ。薄暗い室内にぱちくりと瞬きすると次の瞬間ぐったりと椅子にもたれる。
「夢か…」
山ほどのチョコレートを口に詰め込まれた夢の中の自分を思い出してロイはぶるりと身を震わせる。
「そうだ、チョコ。」
ロイはそう呟くと冷蔵庫の扉を開ける。チョコを並べたバットを取り出して果たしてロイが目にしたのは。
「なんだか白っぽい…」
レシピに載っていた写真にくらべてなんだか白っぽい気がする。ロイは慌ててレシピをひっくり返して『失敗例』と
書かれたページに目を通した。
「『テンパリングの温度が上がりすぎたまま使うと白っぽくなったり艶がない仕上がりになります』…」
ロイは書いてある文章をじっと見つめる。随分気をつけて温度を測ったつもりだったのに。ロイは出来上がった
代物を暫く眺めていたが、レシピをバンと閉じるとビニール袋を持って来てバッドの中のチョコをざあっとその中に
あけた。そうして口を閉めてゴミ箱に放り込むとテーブルの上のレシピも一緒に投げ入れる。ロイは2階に駆け
上がると寝室に入りベッドの中にもぐりこんだ。
「ただいま…?」
ハボックは玄関の中に入るとしんと静まり返った家の中に首をかしげる。
「出かけてんのかな。」
今日、ロイは午後非番で特に出かけるとは聞いていなかったがもしかして本屋にでも行ったのかもしれない。
ハボックはリビングに入ると着ていたコートをソファーに放り投げ、キッチンへと入っていく。
「あれ…?」
入った途端ふわりと鼻をくすぐった甘い匂いにハボックは辺りを見回した。そうして。
「…?」
ゴミ箱の中から綺麗な写真が写った本が覗いているのに気づき、それを拾い上げる。
「『有名洋菓子店のチョコが作れる』?…え、コレ、チョコのレシピ?」
ハボックは慌ててゴミ箱の中に手を突っ込みガサガサと引っ掻き回すとビニール袋を引っ張り出した。ちょっと
白っぽい、歪な丸型をしたチョコの入ったそれを目の前に掲げてしげしげと見つめていたハボックの口元が嬉し
そうにほころぶ。
「たいさ…」
ハボックは視線を上げると、おそらくはベッドの中で不貞腐れているであろう大事な人の姿を思い浮かべた。
コンコン。
ベッドの中にもぐりこんでいるロイの耳にノックの音が聞こえ、それに続いて柔らかく自分を呼ぶ声が聞こえた。
だが、ロイはぐいとブランケットを引き込むと小さく体を丸める。ロイが返事を返さないのに構わず、カチャリと
寝室の扉が開くと、ベッドに近づいてくる足音が聞こえた。
「たいさ?」
ハボックが囁くように呼ぶ声がして、ぎしりとベッドの淵に腰かける気配がする。ロイがますますブランケットを
握り締めて息を潜めていると、ブランケットの上からハボックがそっとロイを撫でてきた。
「チョコ、ありがとうございました。一日早いけど、我慢できなくて食べちゃいましたよ。」
ハボックがそう言うのを聞いて、ロイはガバリと跳ね起きて言った。
「あんな失敗作、食べんなっ!」
「失敗作じゃないっスよ。」
「だって、白くなっちゃったし…っ」
「ちょっとね。でも美味かったっスよ?」
ハボックはそう言うと泣きそうな顔をしているロイの頬を撫でた。
「たいさの気持ちが詰まってんのに不味いわけないでしょ。」
それに、とハボックは言葉を続ける。
「たいさがオレのために作ってくれようとしたのがすげぇ嬉しかった。」
そう言って幸せそうに微笑む空色の瞳にロイの心臓がとくんと鳴った。
「好きですよ、たいさ。」
そう言って笑うハボックにロイの唇から言葉が零れた。
「私も…」
言った途端真っ赤になって俯くロイをハボックが嬉しそうに抱きしめて。
「明日は一緒にケーキ焼きましょうね。」
ハボックの言葉にその胸に顔を埋めたロイが小さく頷いた。
2007/2/1
冬ですね企画ssテーマ「バレンタイン」ですー。ベタですね、もう先が読めるって言うか(苦笑)でもまぁ、安心して読めるってことで。
バレンタインなので甘々を目指して見ましたー。