小胆マシュマロ


「やだなぁ、大佐。もしかして本気にしたんスか?ちゃんと義理だって言ったじゃないっスか」
 呆れたような哀れむようなそんな表情を浮かべてハボックが言う。
「これは受け取れないっス」
 手渡した菓子の包みを突き返されて、ロイは立ち去るハボックの背を呆然と見つめていた。


「〜〜ッッ!!」
 ガバッとブランケットを跳ね上げてロイはベッドの上で飛び起きる。そこが東方司令部の執務室などではなく、自宅の寝室だと気づいてハァと息を吐いた。
「またこの夢か……」
 ロイは手のひらに顔を埋めて呟く。ここ数日、ロイはハボックにホワイトデーのマシュマロの包みを渡しては突き返されるという夢に悩まされ続けていた。
 事の発端は今年のバレンタインデーのチョコだ。毎年ハボックはバレンタインデーに「日頃の感謝の気持ち」と称して大量の義理チョコをばらまいている。ロイも毎年ハボックから「これは義理チョコだから」という注釈つきでチョコレートを貰っていた。ハート型をした手作りチョコの詰め合わせのその真ん中に「本命」と書かれたものを。密かにハボックに想いを寄せていたロイとしては、悪趣味な「義理チョコ」を毎年苦い思いと共に受け取っていたのだ。
 そんな事が数年続いた今年、ふとした偶然でハボックが配っているチョコはロイのもの以外「義理」と書かれていると知った。ハボックを昔からよく知るブレダが言った言葉も相まってハボックもまた自分と同じ気持ちを抱いていると確信したロイは、貰ったチョコの箱を握り締めてハボックに気持ちを伝えに行ったのだが。


「はああ……」
 ロイはため息をついてベッドから降りる。のろのろと洗面所に向かい顔を洗ったロイは、キッチンに降りコーヒーメーカーのスイッチを入れた。程なくしていい香りを漂わせ始めたポットからコーヒーを注ぐと、ロイはフウフウと息を吹きかけ熱いそれをちびちびと啜る。
「くそう……どうしたものかな……」
 結局あの日、ロイはハボックの真意を確かめる事が出来なかった。そのまま日が過ぎれば益々確かめ辛くなり、結局今日まで来ている。
「まいった……」
 ヘタリとテーブルに懐いて呟いたロイは、ポケットから取り出した銀時計を見て別の種類のため息をついた。
「いかん、中尉に怒られる」
 ロイはそう呟いて、司令部へ向かうべくよろよろと立ち上がった。


「てっきりあのままデキちまうのかと思ってましたよ」
 執務室でロイに書類を差し出しながらブレダが言う。ロイは眉間に皺を寄せて書類をめくりながら答えた。
「仕方ないだろう、タイミングが悪かったんだから」
 ロイがハボックに真意を問うべくその姿を見つけた時、ハボックは丁度取り込み中だった。司令部でも人気の高い、総務部の事務職員の女性からチョコを渡されている真っ最中だったのだ。


『ずっと好きだったんです』
 女性は頬を染めて言うと手にした包みを差し出す。想いを込めて差し出されたそれをどうするのだろうと、ロイが身動きできずに物陰から見つめていればハボックはすまなそうに笑って言った。
『ありがとう、気持ちは嬉しいんだけどそれは受け取れない』
 ハボックは真っ直ぐに女性を見つめて続ける。
『好きな人がいるんだ』
 ハボックの言葉に女性は大きく目を見開く。女性は差し出した包みを引っ込めずに尋ねた。
『その人からチョコ、貰ったんですか?』
『……いや、貰えないと思う』
『ッ、だったら……ッ』
 望みがないと判っている相手なら自分とつきあって欲しい、女性は言ってハボックに包みを押しつけようとする。その手を振り払う事も出来ず困りきっているハボックを見て、ロイは思わず二人の前に姿を現した。
『ハボック少尉、すまんが……っと、取り込み中だったかな?』
 今気づいたというようにわざとらしく言ってロイがにっこりと笑えば、女性は慌てて手にした包みを隠す。あからさまにホッとした表情を浮かべてハボックはロイの方へ歩み寄ってきた。
『大佐』
 そうすれば女性は逃げるように立ち去ってしまう。その背を見つめてロイは言った。
『いいのか?追わなくて』
『いいんです、どうしようかと思ってたんで助かりました』
 そう言って笑うハボックを、ロイはそれ以上なにも言えずに見つめたのだった。


「お前が好きなのは私か?って聞いちまえばよかったじゃないですか」
「聞けるか。もし違うって言われたらどうするんだ」
 目の前で美人が一人撃沈するのを見たばかりなのだ。流石にその直後、たとえ九割方そうだろうと確信があったとしてもハボックの心を占める相手を聞き出す勇気はロイにはなかった。
「意外と小心者ですね」
「なんだと?」
 肩を竦めて言う部下をロイはじろりと睨みつける。その鋭い眼光をものともせずにブレダは言った。
「それで?どうするつもりなんです?ホワイトデーは今日ですよ」
「判っている。でも夢がな……」
「夢?」
 ハアと肩を落として言うロイにブレダは首を傾げる。ここ数日見続けている夢の話をすれば、ブレダは今度こそ本当に呆れたように言った。
「ほんっと焔の錬金術師が聞いて呆れますね」
「なにッ?!」
「ハボも可哀想に。こんな意気地のない男に惚れちまって」
 ムッとして睨んでくるロイの手元からサイン済みの書類を取り上げてブレダは続けた。
「今ここで伝えなくてどうするんです?また来年に持ち越しですか?そんな事してたら総務の女の子じゃなくても他の奴に取られちまいますよ。アイツ、大佐が思ってる以上にモテるんだから」
 そう言われてロイは目を見開いて絶句する。ブレダは一つため息をついて言った。
「どうするかは大佐次第ですけど、まあ、俺としては鬱陶しいバカップルが生まれないですむなら精神衛生上助かりますけどね」
 それだけ言ってブレダは「じゃあ」と執務室を出ていってしまう。ロイは忌々しげに閉じた扉を睨みつけた。
「言ってくれるじゃないか」
 ハボックがモテることなどとっくに知っている。これまで一体どれほどやきもきしてきたと思っているのだ。うち明ける勇気もないくせに、ハボックが誰か一人のものになるのが許せず彼に近づく男も女も片っ端から陰で追い払ってきたのはロイ自身なのだから。とはいえ、ブレダの言うとおり今打ち明けなければ遅かれ早かれハボックが他の誰かのものになってしまうだろう事は、ロイにもよく判っていた。
「判ってるさ……」
 ロイは呟いて机の抽斗を開ける。そこには綺麗にラッピングされたマシュマロの包みがハボックから貰ったチョコの箱と並んで入っていた。ロイはチョコの箱をそっと開けると中に一つだけ残された“本命”と書かれたチョコをじっと見つめた。
「判ってるとも」
 ロイは残っていたチョコを口に放り込むとマシュマロの包みを手に立ち上がった。


 執務室から出てきたロイは、自席で書類に取り組んでいるハボックをじっと見つめる。悩みながら書いてはペンを止め、また書くを繰り返していたハボックは、視線を感じて顔を上げた。
「大佐」
 ニコッと笑って言うその顔に、ロイの胸がズキンと痛む。なにも言わずに見つめれば、ハボックが首を傾げて言った。
「なんスか?あ、もしかしてコーヒー?」
 普段はロイに言われる前に時間を見計らってコーヒーを差し入れていたが、書類と格闘しているうち時間を逸してしまったか。慌てて立ち上がるハボックにロイは言った。
「ハボック、ちょっといいか?」
「え?……って、コーヒーじゃねぇの?」
 言うだけ言って司令室を出るロイをハボックが慌てて追いかけてくる。ハボックがついてくるのを背中で感じ取りながら、ロイはズンズンと歩くと階段を下った先の扉から出た。
「なんだよ、一体……」
 いつもとどこか様子の違うロイに不安になったらしいハボックの呟きが聞こえる。それでも引き返すことはなく、ハボックはロイに続いて扉から外へと出てきた。
 陽射しはだいぶ暖かくなったものの、風はまだ冷たい中庭の木の下でロイは立ちどまった。均整のとれた躯に端正な横顔、さらさらとした黒髪を風になびかせる姿に、ほんの一瞬辛そうに顔を歪めたかに見えたハボックは、満面の笑顔を浮かべてロイに歩み寄ってきた。
「わざわざこんなところまできて、何の用っスか?」
 妙に明るい口調で言う声にロイはハボックを見る。真っ直ぐにじっとみつめれば、ハボックが困ったように視線を逸らした。
「えと……大佐?」
 一度逸らしてしまった視線を戻せなくなったのかハボックはうろうろと視線をさまよわせる。そんなハボックをロイはじっと見つめて言った。
「お前に渡したいものがある」
「オレに?」
 言われてハボックはキョトンとしてロイを見る。そんなハボックの表情を見てロイの頭に何度も繰り返し見た夢が浮かんだが、ロイは首を振って夢の残像を頭から追い出すと言った。
「これだ」
 ロイは言って手にした包みを差し出す。綺麗にラッピングされたそれを反射的に受け取ったハボックが尋ねた。
「これ、なんスか?」
 聞かれてロイは一瞬押し黙る。再び出てこようとする夢の残骸を頭の中で思い切り殴りつけて言った。
「もし私の思い違いでなければ受け取ってくれ。そうでなければ捨ててくれていい」
「え?」
 ロイの言葉にハボックは目を丸くする。手にした包みをじっと見つめていたが、やがてそっとリボンを引っ張って包みを解いた。そうして中から出てきたものに目を丸くする。ハボックの手の中にあるのはハート型のクリアケースに入った幾つもの淡い色したマシュマロだった。
「これ……」
 ハボックは丸くした目を大きく見開いて呟く。尋ねるように見つめてくる空色に、ロイは困ったように眉を顰めた。
「今日は14日だからな。……あのチョコに書いてあったのは義理でも冗談でもないんだろう?」
 そうは言ったもののもし「冗談に決まってるだろう」と言われたらとロイの背を冷汗が流れる。長い沈黙にロイの方が「やっぱり今のは冗談だ」と叫びそうになった時。
「……ッ?ハボック?!」
 マシュマロを見つめるハボックの瞳からポロポロと涙が零れる。ギョッとしたロイがオロオロと手を伸ばすべきか否か迷っていればハボックが乱暴に手の甲で涙を拭って言った。
「これっ、貰っていいんスか?」
「ハボック?」
「だって!いっつも大佐、ホワイトデーには司令室の連中全員誘って飲み会で、オレの分はチョコのお礼だって奢ってくれるだけでこんな風にお返しくれた事なんてなかったじゃないっスかッ!」
 ほんの少し詰るような響きのこもった言葉に、ロイは僅かに眉間に皺を寄せる。
「お前のチョコだって相当判り辛かったぞ。本命と書いておきながら義理チョコだなんて」
「アンタ相手に真っ向勝負なんて出来ないっスよ」
『大佐みたいにモテる男に告白するにゃ、冗談に紛れさせるしかなかったんでしょう』
 その言葉にブレダが言った言葉が被る。ハボックの事をよく理解している男にほんの少し嫉妬しながらロイは言った。
「それで?受け取ってくれるのか?」
「今更返せって言われても返しません」
 ハボックは言ってハート型の蓋を開ける。薄い紫色のマシュマロを摘んでポンと口に放り込んだ。
「あ、カシス味?……こっちはライチだ!」
 旨い、これ、とたった今まで感激して泣いていたのが嘘のように次々とマシュマロを頬張るハボックをロイは呆れた顔で見る。
「おい、ムードのない奴だな」
「だってこれ、旨いんスもん」
 言ってニコニコと笑うハボックにロイは言った。
「私にも味見させろ」
「大佐、食ったことねぇの?」
「あるけど随分昔だから忘れた」
 そう言うロイにハボックがマシュマロを差し出せばロイが言う。
「こっちだろう?」
「え?」
「こっち」
 ロイは言って腕を伸ばすとハボックの頭を引き寄せる。そうしてそっと唇を合わせれば、微かに甘いマシュマロの味がした。


2011/03/14


「本命義理チョコ」の続き。画像はマカロンですが……雰囲気だけ?(苦笑)