個人授業


 ロイは電話に伸ばしかけた手を途中で止める。迷うように指先を動かして、伸ばした手を引っ込めた。
「部活で疲れて寝てるかもしれないし……」
 引っ込めた手の爪を噛みながらロイは呟く。休んでいるなら起こすのは悪いと思うものの、ロイは遠く離れた場所にいる年下の恋人の声を聞きたくて堪らなかった。
 イーストシティにある男子校で教師をしているロイの恋人は、教え子だったハボックだ。高校卒業後、セントラルの大学に進学したハボックとはなかなか思うように会うことはできなかったが、ハボックの将来を何よりも大切に考えるロイにとってはそれを嫌だと思うことはなかった。とはいえ、やはり好きな相手のせめて声だけでも聞きたいと思うのは、恋する者としてはごく自然な欲求だろう。特に今日のように学校で色々あった日には、会えないまでも声を聞きたくなるのが常だった。
 ロイは再びそろそろと電話に手を伸ばす。ロイの白い指が受話器に触れそうになったその時、電話が高い音を立てて鳴り響いた。
「ッ!!」
 ビクッと震えてロイは恐る恐る受話器を取り上げた。
「……はい」
『あ……先生?』
 受話器から聞こえてきた声にロイは目を瞠る。受話器をギュッと握り直すと耳に押し当てた。
「ハボック?!」
 名を呼べば電話の向こうで息を吐き出す気配がする。
『夜遅くにすんません。寝るとこだったっしょ?』
「いや、私もかけようとしてたところだったんだ」
『えっ?ホントっ?』
 ロイの言葉に素っ頓狂な声が返る。一瞬黙って殆ど同時にクスクスと笑った。
『なんかあった?先生』
 ハボックがそう尋ねる。ロイはハスキーなその声にうっとりと耳を傾けながら答えた。
「ん……大したことはないけど、なんだか色々バタバタして」
 疲れたよ、と笑えばハボックから答えが返る。
『先生、オレ、大したことはできねぇっスけど、話聞くことは出来るから。何時でも構わないから電話して?』
「ハボック」
『言うだけでもすっきりするかもしれないし、もしかしたらオレにもアドバイス出来ることがあるかもしれない』
 まあ、アドバイスはなかなか出来ないかもだけど、と笑うハボックにロイの胸が暖かくなる。
「いや……お前の声を聞くだけでもホッとするよ」
 ロイが素直にそう返せば電話の向こうでハボックが黙り込んだ。
「ハボック?」
 どうしたのかと不思議に思って呼べばため息が返ってくる。どうしたんだろうと眉を寄せるロイの耳にハボックの声が聞こえた。
『オレ、今すっげぇ先生のこと抱き締めたいっス』
「ハボック」
『抱き締めてキスしたい』
「……ハボック」
 低く囁く声にロイの頬が赤く染まる。まるでそれが見えているかのようにハボックが微かに笑う気配がした。
『先生、赤くなってるっしょ』
「……大人をからかうな」
『オレだってもう大人っスよ?二十歳になったもん』
 そう返されて今度はロイが黙り込む。そんなロイにハボックが言った。
『何かあったら……何もなくてもオレに言ってくださいね、先生。いつだってオレは先生のこと、想ってるから。先生のこと、誰よりも一番好きだから。オレの取り柄っていったらそれくらいしかねぇし』
「ハボック」
『大好きっス、先生』
「……私も」
 小さな声で答えれば柔らかい気配がロイを包む。ロイは幸せそうに笑ってそっと目を閉じた。

2011/10/07