純愛


「それでは来週の御着任、お待ち申し上げております!」
「うむ」
 ピッと敬礼を寄越す事務官にメッケルは鷹揚に頷く。これで用は済んだと立ち上がると来週から己の居室となる執務室を出た。
 今日、メッケルは来週から着任する予定の南方司令部へとやってきていた。用事は書類の提出と後は電話でも事足りるものであったからわざわざ出向くまでのこともなかったのだが、新しい赴任地を確かめるのも悪くないと来てみたのだった。
 メッケルは長い脚でゆっくりと廊下を歩いていく。廊下に面した窓からは春めいた陽射しが射し込み、メッケルの銀髪を煌めかせていた。角を曲がったメッケルは、暖かい陽射しを切るように吹き抜ける風に足を止める。風の出所へ目を向ければ外へと続く扉が僅かにすいている事に気づいてそちらへと足を向けた。
「准将、どちらへ?」
 後からついてきていた事務官が尋ねるのにも答えずメッケルは扉を開けて外へ出る。先へと続く通路を歩きながら振り向きもせずに尋ねた。
「この先は?」
「演習場になります。ご覧になりますので?」
 予定にはない行動をとるメッケルに事務官が戸惑ったように言う。それには答えずメッケルは先へと進んだ。
 通路を進んだ先にある入口を抜けてメッケルは演習場に足を踏み入れる。そこでは数十人の兵士達が棒状のものを手に訓練に励んでいるところだった。
「棒術か、珍しいな」
 あまり訓練には取り上げられない武術を組み入れているのを見て、メッケルは呟く。なんの気なしに見ていたメッケルの視線が吸い寄せられるように一人の兵に向かった。
 それはまだ二十歳になるかならずの若い士官だった。黒いTシャツ姿の彼は二メートルほどの長さの棒を巧みに操りプロテクターをつけた相手の急所に的確に叩きつける。彼の隙を狙って背後から近づいた相手は、棒を支えに蹴り上げた彼の長い脚の一撃で後方へと吹き飛んだ。まるで舞うような動きで彼は棒を振り上げ振り下ろし突き入れる。その動きに合わせて躍動する若い躯は生命力に溢れ、とても美しかった。
 メッケルの視線の先、若い士官は最後の相手を吹っ飛ばすとフゥッと息を吐き出す。彼は棒を地面について躯の力を抜くと、汗に濡れた金髪をかき上げた。
「やめッ!」
 彼の号令で兵達が動きを止める。彼は息を弾ませる部下達の顔を一渡り見回して言った。
「今日はここまでにしよう」
 そう言った彼の顔が笑みに解ける。それはまるで大輪の向日葵が太陽の光を浴びて花開く瞬間に似て、メッケルの目と心を一瞬にして奪った。
「……あの士官の名は?」
 メッケルは掠れた声で背後の事務官へ尋ねる。事務官は少し考えてから答えた。
「ハボック准尉です。ジャン・ハボック准尉」
「ジャン……ハボック」
「お話になりますか?」
 部下達に囲まれて楽しそうに笑うハボックをじっと見つめるメッケルに事務官は尋ねる。ハボックを見つめたまま答えないメッケルを事務官が訝しげに呼べば、メッケルは視線を無理矢理引き剥がすようにして振り向いた。
「いや、必要ない」
 メッケルはそう言うと演習場を後に歩き出す。慌ててついてきた事務官に向かって言った。
「人事部に案内しろ。護衛官を変更する」
「えっ?今からですかっ?」
 今更変更というわけにはと追い縋る事務官にメッケルはピシャリと言う。
「黙れ。自分の背中を誰に預けるかは私が決める」
 そう言ったメッケルの瞳が切なげに細められたのを、見た者は誰もいなかった。


2011/03/09