菫青石の恋 〜 second season 〜 遠い記憶


「いい風」
 窓辺に寄せた椅子に腰掛けたハボックは吹き抜ける風に目を細めて呟く。暑かった一日が終わりオレンジ色の残照が徐々にその明るさを失うと、深い色合いへと変わっていく空に少しずつ星がその姿を現していくこの時間が、ハボックは殊の外好きだった。
「マスタングさんの空だ」
 暗い空がきらきらと光る幾つもの星を抱えるその様が、ロイの瞳のようだとハボックは思う。窓に凭れるようにして空を見上げていれば、不意にずっと昔こうやって空を見上げていた事を思い出した。
「いつ……だったろう」
 ずっとずっと遠い昔、ロイと離れたその場所でもう二度と会うことは叶わないと空を見上げた。想うことだけが全てだった、そんな記憶がはっきりとあるのに、それがいつのことか思い出せない。己の中の曖昧な記憶にハボックが首を傾げた、丁度その時。
 バンッと乱暴に扉が開く音がしたと思うとドカドカと荒い足音がする。階段を一気に上った足音が近づいてきて、扉がぶち破られる勢いで開いた。
「ハボック」
「マスタングさん?一体どうし────、んんッッ!!」
 近づいてくるロイをびっくりして見上げたハボックは、突然噛みつくように唇を塞がれて目を見開く。
「マスタングさ……ッ、ちょっ……、どうしたん、ンンッ!んーっっ!!」
 まるで食いつくさんとするような勢いで口づけてくるロイを、ハボックは必死に押し返そうとする。だが、そんなハボックの抵抗を封じ込め、ロイはハボックをキツく抱き締め、その唇を貪るように荒々しい口づけを繰り返した。
「マスタ……ッ、待って!……んふ、ぅんッ、んふ…ぅッ」
 激しい口づけにハボックの体から力が抜け、縋るようにその手がロイのシャツを握り締める。長い全てを奪うようなキスが漸く終わりを告げる頃には、ハボックは半ば酸欠になって力なくロイの胸に縋りついていた。
「ハボック」
 ギュッと抱き締めたロイの声が耳元で聞こえて、ハボックは身を震わせる。抱き締めるロイの腕が微かに震えていることに気づいて、ハボックは目を見開いた。
「どうしたんスか?マスタングさん」
 様子がおかしいロイの腕の中に身を預けて、ハボックはロイを見上げる。苦しげに歪められる黒曜石に手を伸ばせば、ロイがその手を取ってギュッと握り締めた。
「お前が、いなくなってしまうような気がした」
「オレが?なんでそんな事────」
「私には、お前を失った記憶がある」
 いなくなるはずなどないのにと苦笑して言いかけたハボックの言葉をロイが遮る。その苦しげな様子にハボックが目を見開いてロイを見つめれば、ロイは握り締めた手に唇を押しつけながら言った。
「信じられないかもしれないが、私には確かにお前を失った記憶があるんだ。ずっとずっと遠い昔、今の生ではない時の流れの中で私はお前に会っている。お前に出逢ってお前を愛して……そしてっ」
 ロイは呻くように言ってハボックを掻き抱く。きつく抱き締めてハボックの耳元に囁いた。
「お前を失った記憶が私を苦しめるんだ。いつかまたあの時のように、お前がこの腕をすり抜けてどこかに行ってしまうんじゃないかと」
「マスタングさん」
 ロイの言葉を目を瞠って聞いていたハボックは、そっと目を閉じる。それからロイの体を優しく抱き返して言った。
「じゃあ、これもずっと昔アンタと出逢ったときの記憶なのかな」
「え?」
 そう言うハボックにロイは抱き締めていた腕を緩めて白い顔を見つめる。ハボックは幸せそうに目を細めて言った。
「空をね、見上げてるんス。星がいっぱい輝く空、マスタングさんの瞳みたいだって」
 ハボックはそう言って窓の外に広がる空を見上げる。
「今も見てた。あの時も、今も、マスタングさんのことが大好きで、それだけですげぇ幸せで」
「ハボック」
 そう言うハボックの幸せな横顔をロイがじっと見つめていれば、ハボックがロイを見て言った。
「オレはもうどこにも行かないっス。ずっとアンタの側にいる。いつかこの命が尽きるまでずっとずっと」
 ハボックはロイを見つめてにっこりと笑う。
「好きっス。ねぇ、マスタングさん、人は元々一つの魂だったのが二つに分かれて地上に降りた片割れなんですって。オレはアンタの半分っしょ?」
「────ああ」
 そうであると疑わない瞳にロイが泣きそうな顔で頷けばハボックが言った。
「だったらオレたちはずっとずっと一緒っスよ」
「ハボック」
「マスタングさん、大好き」
「私も────愛している」
 言えば幸せそうに笑う空色に、ロイの中の喪失の痛みも薄れていく。二人は何度も何度も飽きることなく口づけを交わすと、元の一つに戻ろうとするかのように体を重ねていった。


2012/07/12