光神王国  紅葉編


「若、私の話を聞いてますか?」
 ティワズはそう言うと眉をひそめて彼の大切な王子の顔を見る。だがハボックは机に肘をついたその手の上に顎を乗せて窓の外を見つめたまま答えなかった。
「若」
 さっきより1トーン下がった声でティワズがハボックを呼ぶ。するとハボックがパッと振り向いて言った。
「ねぇ、ティ。湖のとこ紅葉が凄く綺麗なんだって。見に行こうよ」
「これが済むまではダメです」
「えーっ、行こうよ!こんなことしてる間に散っちゃったらどうするのさぁ!ホンっトに綺麗なんだってサムが言ってたんだよ」
「誰が何と言おうと終わるまではダメです」
 ティワズが頑として言えばまだ幼い王子は頬を膨らませる。
「私がさっき言ってた事をちゃんと聞いていたらすぐ解ける問題ですよ。そうすれば見に行けるでしょう?」
 そう言われてハボックはギクリとした顔をする。慌てて問題に視線を向けると目で文字を追っていたが、恐る恐るティワズを見ると言った。
「あのね、ティ。ちゃんと聞いてた筈なんだけどよく判らないなぁって…」
 そう言ってへらりと笑うハボックにティワズは思い切り顔をしかめる。
「そう言うのは聞いていなかったと言うんです、若」
 ティワズは椅子に背を預けると言った。
「私が教えるのでは集中できないと言うなら他の誰かに――」
「ヤダッ!ティでなきゃ嫌だっ!ちゃんと勉強するからティが教えてっ!」
 大声を張り上げハボックは手を伸ばすとティワズの腕を掴む。大きく見開かれた空色の瞳が泣き出しそうに揺れるのを見て、ティワズはため息をついた。
「もう一度だけ説明しますからよく聞いていて下さい」
「うん」
 他の誰かに教わるなんてそんなのは絶対に嫌だ、そう思った王子がその日、それ以上我儘を言うことはなかった。

 それから数日の間、ハボックは勉強やら宮廷行事の為に外へ出かけることができなかった。漸く時間が出来てティワズに外へ行こうと強請るつもりだったハボックは、朝起きて窓の外を覗いてがっかりとため息を零す。
「雨じゃん」
 昨日までの青空が嘘のようにどんよりと垂れ込めた空からは大粒の雨がザアザアと降っていた。ハボックは窓辺に懐くとため息を零す。
「見たいなぁ、紅葉……」
 城の庭木は常緑樹が多かったからあまり紅葉は見られなかった。だが、湖の傍ではオレンジや紅や黄色に所々緑も混ざってそれがまた湖に映ってとても綺麗なのだという。
「ティの目とどっちが綺麗かな」
 そんな事を考えながら紅葉の中に立つティワズを思い浮かべる。
「きっと綺麗だろうなぁ…」
 何が、とは言わずに呟いて、ハボックは優しく笑った。

「あ、王子様、湖には行かれました?」
 いつものように厨房に遊びに来ていたハボックはコックのサムにそう声をかけられて振り向く。まだやっと20になるかならずかと言う年の頃のサムはそばかすの散った顔に満面の笑みを浮かべてハボックを見ていた。
「とっても綺麗でしたでしょう?」
 そう言われてハボックは残念そうに俯く。
「まだ行ってないんだ。ずっと忙しかったから」
 そう言うハボックにサムも残念そうに言った。
「ありゃ、そうなんですか。それは残念ですねぇ」
「でも、午後にでもティに頼んで連れて行って貰おうと思って」
 手を握り締めて言う王子にサムは益々残念そうな顔をする。
「さっき出入りの商人が言ってたんですが、昨日の雨と風であらかた散ってしまったようなんですよ」
「え?そうなの?」
 王子様に見せたかったんですがねぇ、と言うサムにハボックはショボンとうな垂れる。
「あ、でも他にもきっとまだ紅葉が綺麗なところあると思いますよ?見つけたら王子様にもお教えしますから!」
 元気のなくなってしまった王子にサムが慌てて言うとハボックは「ありがとう」と笑って駆け去ってしまった。

「え?湖の紅葉、散っちゃったんですか?」
「ええ、昨日、雨と風が凄かったでしょう?あれであらかた散っちゃったらしいんですよ」
「それ、若には」
「すみません、言ってしまいました」
 サムに紅葉のことを聞こうと厨房にやってきたティワズは思いがけない話に眉を顰める。申し訳なさそうにするサムに気にしないよう言うと厨房を出た。
 ここ数日、頑張っていた王子へのご褒美に湖に出かけようと思っていた。サンドイッチでも持って、ちょっとしたピクニック気分で紅葉を見るのもいいと思ったのだ。だが、その出鼻を挫くような雨は紅葉も散らしてしまったのだという。
「参ったな…」
 ティワズはそう呟くと窓の外へ目をやったのだった。

「あ、ティ」
 ノックと共にティワズが部屋に入ればハボックは珍しく自室で本を読んでいるところだった。ラグの上に両脚を投げ出してその脚の上に大きな本を広げている。ティワズはゆっくりとハボックに近づくと言った。
「読書ですか?」
「うん。この間ティ、この本薦めてくれたでしょ」
 ハボックは笑ってそう言うと本に視線を戻す。何となく寂しそうな横顔にティワズは胸の痛みを覚えながら言った。
「若、湖の紅葉ですが」
「もう散っちゃったんだってね。仕方ないよね、ずっと忙しかったし、雨、降っちゃったし」
 ティワズに皆まで言わせずハボックが言う。王子としての立場の前には紅葉を見たいというささやかな願いすら我慢するしかない少年に、ティワズは優しく微笑むと手に持っていたものを差し出した。
「若、これを栞に使ってください」
 差し出されたものを受け取ったハボックが目を丸くする。それは色とりどりの紅葉を紙に貼り付けて作った手製の栞だった。
「これ、湖のとこの?」
「ええ、なるべく綺麗なのを選んで作ったつもりなんですが」
 ハボックは暫くの間じっと栞を見つめていたがティワズを見上げると言う。
「ありがとう、ティ。大事にする」
「たくさん本を読んでください」
 コクンと頷いて、ハボックはティワズに聞いた。
「ねぇ、まだ綺麗なの、あるかなぁ。今度はオレがティに作ってあげたい」
 そう言う王子にティワズは目を見開いたが、優しく微笑んだ。
「今から行きますか?」
「うんっ」
 ティワズの言葉に元気よく頷くとハボックは栞を本に挟む。そうして二人は秋風の中、湖へと出かけたのだった。


2008/10/19