| 千年樹 新年編 |
| 「ああ、こっちは気にしなくていいっスよ。いい年を迎えて下さい」 ハボックはそう言うと相手の返事を待たずに受話器を置く。ガチャンと耳障りな音に僅かに眉を顰めたが、これくらいの無礼は赦されるだろうとハボックは叩きつけるように切った電話から離れた。窓辺に近寄ろうとして足元に落ちた煙草に気づく。咥えていたそれを落とした事に気づかぬ程慌てて電話に出たのかと思うと、自分自身に腹が立ってハボックは落ちた煙草を靴で踏みにじった。 粉々になった煙草をそのままに、ハボックは窓辺に歩み寄り新しい煙草を取り出す。窓に寄りかかるようにして煙草に火をつけるともうすぐ夜を迎えようとする街を見下ろした。 新年を一緒に迎えようと言っていたヒューズから行けそうもないと連絡があった。すまなそうに告げる相手に、そんなのちょっと考えりゃ判る事だと笑って返した。そもそも女房子供持ちの男を好きになった時点で、季節のイベントを一緒に過ごしたいなどと思ってはいけないのだ。 ハボックは急速に暮れていく街をガラス越しに見つめる。昼と夜が自分の存在を主張してせめぎ合う黄昏時、家々の灯りが次々と灯っていくのを見れば、ベッドの中で囁くヒューズの声が蘇った。 『愛してるぜ、少尉』 「グレイシアさんの次に、だろ」 『ホントに可愛いな、お前』 「エリシアちゃんが一番可愛いくせに」 常盤色の瞳を細めて言う男の幻影にハボックは言い返す。本当はそんな事を言う権利など己にはこれっぽっちもないことが判りきっていて、ハボックはコツンとガラスに額を押し当てた。 「もう……やめよう」 新しい年を迎えるのだ。醜いこの想いに区切りをつけるにはいい機会ではないか。 ハボックはそう考えてガラスに映る己の顔を見つめる。ヒューズへの想いを宿して見返してくる空色の瞳に煙草を押しつけると、ハボックは足早に浴室に入った。そうして身の内に燻るヒューズへの想いを洗い流そうとするように頭から冷たい水を被ると、早々にベッドに潜り込んだ。 「う……ん」 躯を這い回る熱い手のひらの感触にハボックの意識がゆっくりと浮上する。ぼんやりと目を開けたハボックは夜明け前の薄闇に沈む部屋の中、己に圧し掛かる男に気づいてギクリと身を強張らせた。 「……中佐?!」 「やっと目が覚めたか」 ここにいるはずがない男の姿を認めて、ハボックは驚きの声を上げる。ヒューズは見開く空色を見下ろしてニヤリと笑った。 「なかなか起きないからこのまま犯しちまおうかと思った」 揶揄するように言う男をハボックはまじまじと見つめる。何の反応も返してこないハボックに眉を顰めるヒューズにハボックが言った。 「なんでここに……?」 「ん?この間鍵貰ったろう?それで開けて入った」 「あれはアンタが勝手に持っていった―――そうじゃなくてっ」 前回ヒューズがアパートに来たあと、引き出しにしまってあったスペアキーがなくなっていた。電話で『貰ったから』と悪びれる様子もなくヒューズが言った事を思い出して言いかけた言葉を飲み込んで、ハボックは怒鳴った。 「どうしてここにいるんだって聞いてるんスよ!アンタ、こっちには来られないって言ったじゃないっスか!!」 エリシアが淋しがるから行けない、子煩悩な男がすまなそうに言う声が押し当てた受話器から耳を通して脳味噌を腐らせるのを感じてからまだ一日も経っていないはずだった。無意識に責める響きを滲ませる声を聞いていたヒューズがハボックをじっと見つめる。その常盤色の光の強さに耐えかねてハボックが目を閉じた時、ヒューズが言った。 「あんな泣き出しそうな声聞いたら放っておけねぇだろ?」 その言葉にハボックがハッと目を開ける。見下ろしてくるヒューズを睨みつけてハボックは言った。 「オレがいつ泣きそうな声を出したっつうんだよッ!」 「泣きそうだったろ?俺が行けないって言った時。―――いや、泣いてたのか」 「オレは泣いてなんて―――」 「少尉」 喚くハボックの言葉をヒューズの低い声が遮る。見下ろしてくる常盤色がフッと優しく笑ったと思うとヒューズが言った。 「愛してるぜ、少尉」 「……ッ?!」 「可愛くてたまんねぇ」 そう言うと同時にヒューズが噛みつくように口づけてくる。シャツの裾から入り込んでくる手にビクンと大きく体を震わせてハボックはヒューズを押し返した。 「ヤダ、やめろッ!オレはアンタなんて―――」 「好きで堪んないんだろ?」 しれっとして言う男にハボックは目を見開く。まん丸に見開いて見上げてくるどこか幼い空色にヒューズは笑った。 「そんなだからほっとけないんだよ、お前は」 そう言って降りてくる唇に己のそれを塞がれて、ハボックは顔を歪める。何度も繰り返されるキスに零れる吐息の熱を上げながらハボックはギュッと目を閉じた。 「ズルい、アンタ……」 こんな風に優しくされるから諦められないのだ。赦されないと判っていながら手を伸ばしてしまう。 「ずりぃ……」 閉じた瞳から一筋涙を流して。 ハボックは新しい年の始まりをヒューズが与える熱に溺れて迎えた。 2012/01/05 |