| チョコっとバレンタイン |
| 「バター、と……。しまった、もう少し早く冷蔵庫から出しとくんだった」 キッチンからそう声が聞こえて、ダイニングテーブルで新聞を読んでいたロイは顔を上げる。ダイニングから続きになっているキッチンでボウルに入れたバターを木べらで練っているハボックをロイはじっと見つめた。 ハボックはバターをクリーム状になるまでよく練ると、数度に分けて砂糖を加えながら泡立て器ですり混ぜる。それに卵黄を入れて混ぜ、予め湯煎で溶かしてあったチョコレートと牛乳、バニラオイルを加えた。 「明日用のケーキか?」 「バレンタインっスからね」 ロイが尋ねればそう答えが返ってくる。手際よくザッハトルテを作っていくハボックを見ていたロイは、一つため息をついて言った。 「お前、最近手、抜いてないか?」 「は?」 ロイがなにに対して手を抜いていると言ってきたのか判らず、ハボックはキョトンとする。“なんスか、突然”と尋ねればロイが答えた。 「バレンタインだ。いっつもみんなまとめてチョコレートケーキじゃないか」 「ああ」 以前は司令室の人数分、トリュフやらアマンドショコラやら様々なチョコレートを作っていたハボックだったが、ある時持っていったザッハトルテが好評で、それ以来バレンタインというと大きなザッハトルテを作って司令部のみんなで分けて食べるのが恒例となっていた。 「私の分も一緒だし」 どうやらロイとしては友人、同僚と大本命であるところの恋人の自分とが一緒の扱いであることが気に入らないらしい。そう察してハボックはケーキを作る手を止めるとロイの顔が見えるところまで出てきた。 「でも、大佐の分は切り分けてからデコレーションしてあげてるじゃないっスか」 大きなホールケーキ、司令部最強のホークアイに渡す分ですら切り分けたケーキはチョコレートコーティングしただけのツルンとした状態で渡している。だが、ロイの分だけは切り分けた後、司令部の給湯室で生クリームやフルーツでデコレーションしてから出しているのだ。 「それっぽっちじゃ気持ちが感じられないな。大体去年はブレダ少尉の分にも生クリームが載ってたぞ」 去年は分量を間違って生クリームが余ってしまった。捨てるなら俺のに載せろと騒ぐブレダの分のケーキに、ササッと生クリームでデコレーションしたのがロイの気に障ったようだ。 「私への気持ちも昔ほどではないと言うことじゃないのか?」 「あのね」 しょうがない事で絡んでくるロイにハボックはムッとする。 「大佐がそんなこと言うならオレも言わせて貰いますけど、大佐だってオレのことどう思ってるんです?」 「なんだと?」 「いっつもバレンタインでチョコあげるのはオレの方。でも、別にオレからあげなきゃいけないってこと、ないっスよね?オレたち男同士だし、どっちがバレンタインにチョコあげようが構わないのにいっつもオレがチョコあげて大佐がホワイトデーにお返ししてくる。それって、オレがあげるから仕方なしに返してくるんじゃねぇの?オレがあげなきゃ大佐から渡そうなんて気、ないんじゃねぇんスか?」 一気にまくし立てられてロイは目を丸くする。なにも言い返してこないロイにハボックは大きなため息をついて続けた。 「別にチョコをくれるかくれないかで気持ち量る気はねぇっスけど、それってあんまりじゃねぇ?」 ハボックはそう言うとエプロンを外し、ダイニングテーブルに叩きつけるように置いて出ていってしまう。その背を目を丸くして見送ったロイは、ムッと顔を歪めると読んでいた新聞を丸めてキッチンに放り込み、靴音も荒くダイニングから出ていった。 「別にあんなに怒らなくたっていいじゃないか」 ロイは書斎の椅子にドサリと腰を下ろしてそう呟く。ロイとしてはハボックが作った手作りケーキを自分以外の誰かが食べるのが面白くなかっただけなのだ。大好きなハボックが作った大好きなチョコレートケーキを独り占めしたかっただけなのだが、素直にそうと言えずに言った言葉が妙な誤解を与えてハボックを怒らせてしまった。 ロイは椅子の背に頭を預けて寄りかかるとグルリと椅子を回転させる。クルリクルと回転させて書斎の天井を見上げながらロイはハボックが言った言葉を思い出した。 『いっつもオレがチョコあげて大佐がホワイトデーにお返ししてくる』 「そんなこと言ったって私にチョコレートケーキは焼けないんだから仕方ないじゃないか」 ホワイトデーに返すクッキーだって気に入りの洋菓子店で買っているのだから、バレンタインのチョコだって買ったものを渡したところで問題はないはずだ。だが、ずっとハボックが手作りの品をバレンタインに渡してくれるのが続いていることで、バレンタインデーに渡す菓子のハードルが高くなっている印象は否めなかった。 『別にチョコをくれるかくれないかで気持ち量る気はねぇっスけど、それってあんまりじゃねぇ?』 「……どうしろというんだ」 手作りケーキは作れないが既製品を渡すのもイヤだ。妙な見栄と意地が先に立って、ロイはムゥと唇を歪めて天井を睨みつけた。 「おおお、愛しのザッハトルテちゃんっ」 「ブレダ、いつもありがとな」 目の前に切り分けたケーキを置かれて喜ぶブレダにハボックが言う。司令室の面々に手作りのケーキを配ったハボックは、執務室の扉に目をやった。 「大佐は……会議中、か」 バレンタインデーの今日、ロイはほぼ一日会議会議で今も執務室にその姿はなかった。 「旨いなぁ、やっぱりお前のザッハトルテがアメストリス一だ、ハボック」 「ホント、少尉のザッハトルテは最高ですね」 「はは、サンキュ」 配られたケーキを頬張りながら口々に旨いを連発するブレダたちに答えながら、ハボックはそっとため息をついた。 「あんな事、言うんじゃなかったなぁ」 皆が帰った後の司令室で、ハボックは椅子にふんぞり返ってそう呟く。結局ロイはあの後一度も戻ってこず、そのままホークアイと一緒に会議を兼ねた会食へと出ていってしまっていた。 ロイに気持ちが足りないというようなことを言われて、思わずムッとして言い返してしまった。本当の事を言えば、別にロイからチョコが欲しいわけではなく自分があげたいからせっせと作ってあげているに過ぎないのだ。 「大佐がつまんないこと言うから」 こんなにロイが好きなのに気持ちを疑うようなことを言われてカッとなってしまった。ハアアと大きなため息をついて目を閉じたハボックがズルズルと椅子に沈み込んだ時、コトリと言う音と共に甘い香りが鼻を擽った。 「悪かったな、つまらないことを言って」 「えっ?大佐っ?」 聞こえた声にガバリと身を起こして目を開ければトレイを手にしたロイが立っている。てっきり会食に出かけたとばかり思っていたロイがいることに、ハボックは目を丸くして言った。 「なんでここに?会食は?」 「早めに切り上げてきた」 「よく中尉が許してくれましたね」 「まあな」 あのホークアイがよく帰してくれたものだと意外に思いながら言えばロイが言葉を濁して答える。どうやら何かしら取引があったらしいと察したハボックにロイが言った。 「飲め」 「えっ?────あ」 言われて机の上を見ればホットチョコレートが入ったカップが置かれている。さっきからしていた甘い香りはこれだったのかと漸く気づいたハボックが言った。 「ええと、もしかして大佐が淹れてくれたんスか?」 「ザッハトルテは作れんからな」 フンと顔を背けて言うロイをじっと見つめていたハボックは、そっとカップに手を伸ばす。いただきますと呟いてカップに口を付け一口飲んだ。 「甘い……」 フワリと口に広がる甘さにハボックの顔に自然と笑みが浮かぶ。もう一口とカップに口をつけたハボックの耳にロイの声が聞こえた。 「昨日はすまなかったな」 「え?」 「お前の気持ちを疑うような事を言って」 そう言うロイをハボックはまじまじと見つめる。ハボックの視線を頬に感じながら、ロイはハボックを見ずに続けた。 「お前が作ったケーキをみんなも食べるのが悔しかったんだ」 珍しく素直にそう気持ちを口にするロイにハボックは目を見開く。ロイはハボックに向き直ると見開く空色を見つめて笑った。 「おかげで今年はお前のケーキを食べ損ねた」 独り占めするどころか食べられなかったと笑うロイをハボックは目を細めて見つめる。手にしていたカップを置くとガタンと乱暴に立ち上がった。 「ちょっと待ってて、大佐」 「ハボック?」 そう言ってバタバタと司令室を出ていくハボックにロイは目を丸くする。待っていれば少ししてハボックが小さな箱を手に戻ってきた。 「よかった、無駄にならずに済んで」 ハボックはそう言いながら手にした箱をロイに差し出す。反射的に受け取ってしまってから尋ねるように見れば頷くハボックに、ロイは箱を机に置いて蓋を外した。 「ハボック、これは……」 「ザッハトルテ。大佐専用っスよ」 箱の中に入っていたのは直径12センチ程の小さなザッハトルテ。生クリームやフルーツで可愛らしくデコレーションされたそれは、どこも欠ける事なく綺麗な円を描いていた。 「丸ごと全部、独り占めして食ってください」 オレの気持ち全部、と照れたように笑うハボックをロイはじっと見つめる。それからケーキを見つめて言った。 「幾ら何でも一人じゃ多過ぎるよ」 「大佐」 ロイの言葉に一瞬がっかりと肩を落とすハボックを見てロイが言う。 「一緒に食べよう、ハボック」 そう言って笑うロイにハボックもパッと顔を輝かせて笑った。 「じゃあ、ホットチョコレートも一緒に飲みましょう」 「チョコだらけだな」 「……ちょっと甘すぎるか」 オレ、甘いの苦手だったと眉を下げるハボックにロイが言った。 「いいじゃないか、一年に一回だ」 「そっスね」 そう言って笑いあうと二人はフォークを持ってきてケーキをつつく。絡んだ視線に引き寄せられてケーキ越しに交わしたキスは、ケーキよりもホットチョコレートよりもずっとずっと甘かった。 2012/02/14 |