ベイベ


「よっ、ハニー!元気してたかっ?」
「えっ?あ……ンッ、ン───ッッ!!」
 聞こえた声に振り向けばいきなり唇を塞がれ、ハボックは目を白黒させる。必死にもがいてその腕から抜け出したハボックは、ニヤニヤと笑うヒューズを紅い顔で睨んだ。
「なっ、なにするんスかッ?!」
「なにって、決まってんだろ?久しぶりに会った片恋の相手にモーションかけてんの」
「モーションって……」
 ハボックは困ったように呟いて視線をさまよわせる。無意識にヒューズに奪われた唇を手の甲で拭うハボックにヒューズは苦笑して言った。
「今じゃロイ専用か?」
「えっ?」
 そう言われてハボックは弾かれたようにヒューズを見る。ほんの数週間だけ恋人だった上司をハボックはすまなそうに見つめた。
 ヒューズが部下だったハボックを口説き落として漸く恋人としての地位を得た丁度その頃、ハボックの前に現れたのはセントラルに出張してきたロイだった。ヒューズの気持ちを受け入れはしたものの、まだ自分の気持ちに確信が持てず次の一歩を踏み出せずにいたハボックを、ハボックに一目惚れしたロイが横から掻っ攫うようにして奪った挙げ句、イーストシティに戻る自分の部下として連れ帰ってしまったのはほんの二ヶ月ほど前のことだった。
「まあ、ホントの事言やロイに会わせんのは拙いと思ってたんだけどな」
「えっ?」
「お前、俺と話してるとき一番熱心に聞くのがロイの話でさ、あんまり俺の話に口挟んでこねぇお前がロイの話の時だけはあれやこれや聞いてきただろう?」
「そ、そうでしたっけ?」
「そうだよ」
 正直なところそう言われてもあまり記憶にない。よく覚えていないらしいハボックの様子にヒューズがため息をついた。
「無自覚ってのが一番ヤバいんだよ」
「すみません、オレ……」
 ヒューズに責められてもハボックには言い訳することも出来ない。ヒューズがアパートに来ると言った夜に、その約束をすっぽかして会ってまだ半日も立たないロイと事に及んでしまったのは他ならぬ自分だったから。
「悪いと思ってんならキスぐらいさせろ」
「中佐、オレ…ッ」
 言ってグイと顔を寄せてくる男をハボックは押し返す。ヒューズに対する罪悪感があるのは確かだったが、ロイとつきあっている現状で例えキス一つであろうと他の男とするのは嫌だった。
「中佐っ、オレ、大佐が好きなんですっ、だから───」
 そう言うハボックに構わずヒューズはハボックを引き寄せ強引に唇を合わせようとする。罪悪感に縛られて本気で抵抗出来ないまま、今にも唇が重なろうとしてハボックはギュッと目を閉じた。その時。
「貴様、人の恋人になにをしているッ?!」
 怒りを含んだ低い声がしたと思うと、ヒューズが「アチィッ!」と悲鳴を上げる。目を開ければ「アチチ」と叫びながら前髪についた火を手で叩いて消しているヒューズと、発火布の手を握り締めて目を吊り上げているロイの姿が見えて、ハボックは目を丸くした。
「なにするんだ、ロイ!俺の事を燃やす気か?」
「ハボックにちょっかい出すからだ。グレイシアに言いつけるぞ」
「ちょっとしたジョークだろうが」
 ヒューズはチリチリになってしまった前髪に顔を顰めながら言う。ロイの腕に引き寄せられながらハボックはどちらへともなく尋ねた。
「グレイシアって?」
「ん?ああ、ヒューズの婚約者だ」
「婚約者っ?!」
 驚きのあまりハボックは素っ頓狂な声を上げる。まん丸に見開かれた空色を見つめながらヒューズは言った。
「ま、そういうこった。結婚式には呼ぶから二人で出席してくれ」
 ヒューズはそう言ってハボックにウィンクすると、時計を見て「会議、会議」と立ち去ってしまう。それを呆然と見送っていたハボックは、ハッと我に返ってロイに尋ねた。
「婚約者って、そんなのいつ決まったんスかっ?」
「婚約が決まったのはつい最近だな。グレイシアとはお前にフられてやけ酒飲んで、道端でゲロってたところを介抱して貰ったのがきっかけだそうだ」
 それを聞いてハボックはポカンとしてロイを見る。そんなハボックにロイはクスリと笑って軽く口づけた。
「今はアイツも幸せだ。だからお前も罪悪感なんて感じなくていいから幸せになってくれって伝えるつもりだったんだろう」
「その為にわざわざセントラルから?」
「一度は好きになった相手だ。お前がどんな顔して過ごしてるか判っていたのかもな」
 その言葉にハボックは顔を歪める。ロイがハボックを引き寄せて抱き締めれば、ハボックはそっと顔を埋めた。
「オレ、二人に幸せになって欲しいっス」
「その為には私たちも幸せにならんとな」
「……大佐」
 言われてハボックは顔を赤らめてロイを見る。そうすればロイがにーっこりと満面の笑みを浮かべて言った。
「そうとなればもう遠慮する事もないな」
「え?」
「この二ヶ月、お前の気持ちを考えてセーブしてきたが、ヒューズに相手が出来たと判ればお前も安心したろう?これからは私の事だけを考えるようにたっぷりみっちり愛してやる」
「たっぷりみっちり、って……」
 ヒューズの事が気にかかっていたとは言え、全く肌を合わせてこなかった訳ではない。これまでだって既に濃厚だった行為が更にエスカレートするのかと、ハボックは慌ててロイを突き飛ばした。
「むっ、無理っス!オレにはあれ以上は絶対無理っスからっ!」
「なに言ってるんだ、“もっと”と言って私を離さなかったのはお前の方だろう?」
「言ってねぇしっ!」
「なんだ、忘れたのか?“もっとめちゃくちゃに突いて”って私の腰に脚を絡ませて───」
「わーッ!!言うなッ!!」
 ロイの言葉に顔を真っ赤にしてハボックは腕を振り回す。その腕をグイと掴まれてハボックはギクリと身を強張らせた。
「楽しみだな、ハボック」
 そう言ってにんまりと笑うロイに、選ぶ相手を間違えたかもしれないと思うハボックだった。


2010/06/17