精霊王

「ロイ、その……大丈夫?」
 背後から聞こえた声に振り向けばヘンリーとミリアがロイをじっと見つめている。心配そうなその表情にロイは微笑んで答えた。
「私なら大丈夫だ。いつかこうして別れなければならないことは判っていたんだから」
 そう言って村を一望出来る場所に立つ真新しい墓標を愛しげに撫でるロイに、ヘンリーはなんと言葉をかけていいか判らない。優しい笑みを浮かべるロイの横顔は、ヘンリーがまだ幼かった頃この村を襲った厄災から、ロイと今はもういない一人の呪術師が力を合わせて守った時から寸分変わらず美しかった。
「これからどうするの、ロイ。ずっとこの村にいてくれるの?」
 精霊の王であるロイをここへ繋ぎ留めておくものはもうなくなってしまった。それでもヘンリーは子供の頃から大好きだったロイにこの村に留まっていて欲しいと思う。そう願いを込めて見つめるヘンリーに、だがロイはそっと目を伏せて言った。
「私は眠りにつこうと思う。アイツはもういないのだから」
「ロイっ」
 縋るように見つめてくるヘンリーをロイは目を開けて見つめる。
「一つだけ、頼みたい事がある。毎日とは言わないが、時折こいつを見舞ってくれないか?一人だと寂しがるだろうから」
「だったらロイが毎日来ればいいだろうっ!」
 そう怒鳴るヘンリーをロイは黙ったまま見つめた。その黒曜石の瞳に翻意を促そうとヘンリーが尚も言い募ろうとした時、傍らに立っていたミリアが口を開いた。
「判ったわ。私が毎日ここへ来る。貴方の代わりに彼と一緒にここから村を見守るわ」
 そう言って見つめてくる赤褐色の瞳にロイは目を細める。
「ありがとう、ミリア」
 ロイは嬉しそうにそう言うと、今一度墓標にそっと触れそれからゆっくりと歩きだした。
「元気で、ミリア、ヘンリー」
 二人の横を通り過ぎる時それだけ言うと後は振り返らずに歩き続ける。
「ロイ!ありがとうっ、一生忘れない!ジャンのお墓は僕とミリアで守るからっ!」
 そう背中に届いた声に、ロイはうっすらと笑みを浮かべて歩き続けた。


 森の中を歩いていたロイはぽっかりと開いた洞窟の前まで来ると足を止める。ポケットから銀色に輝く石を取り出し、入口の左右に置くと何やら小さく唱えてから中へと入れば、結界の石は入口を森の木立に隠してしまった。
 ぼんやりと辺りを照らす苔の助けを借りて、ロイは洞窟を奥へと進む。程なくして綺麗に澄んだ泉のほとりへと出た。ロイはほとりのすぐ側に突き出す岩の上に腰を下ろす。そうすればハボックと初めて出逢った時の事が浮かんだ。
 何も判らぬまま契約を結んだ。一緒に暮らすようになりその暖かく輝かしい魂に強く惹かれた。その後の凄まじい戦いを経て一度は失ったと思った魂を再び取り戻した時のあの喜びは今でも覚えている。そうして平和を取り戻した村で静かで穏やかな時を共に過ごしてきた。暖かく幸せで満ち足りた日々。毎日が何物にも代え難く大切だった。ロイが目を閉じて過ぎた日の思い出をそっと抱き締めた時、ハボックの声が聞こえてきた。
『ねぇ、ロイ。オレはアンタに逢えて幸せだったっスよ。アンタには本当に感謝してるんです』
 そう言って見つめてきた空色の瞳。
『ありがとう、今までオレの側にいてくれて。でも、もうすぐアンタの魂を解放してあげられるっス。そうしたらアンタは自由だから』
 囁くハボックの命の糸がゆっくりと解けていく。
『ありがとう、ロイ……愛してます』
 その言葉にロイが答える前に解けた糸は宙に溶けて消えてしまった。
「解放されることも自由になることも望んでなどいなかったのに」
 ロイは目を開けてそう呟く。だがその言葉を唇に載せる前にハボックの命は消え空っぽの器だけが目の前に残された。そうして伝えられなかった想いが今尚ロイをハボックという存在に縛り付ける。
「愛している、この先もずっと、変わらない」
 そう囁いたのを最後にロイの体が空気に溶けるように消えていく。後には微かな光の下、透明な泉が綺麗な澄んだ水を静かにたたえているだけだった。


2010/05/18