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「お前、本当にどこでもついてくるな」
 大佐に寄り添う俺を見下ろしてハボックが言う。あからさまに嫌そうな声音に大佐が苦笑して言った。
「いいだろう、ちゃんと行儀よくしてるんだから」
 そう言いながら俺の頭を撫でる大佐の手に鼻をすり付けてペロリと焔を生み出す指先を舐めれば、ハボックが思い切り舌打ちするのが聞こえた。
(どうだ、羨ましいか)
 そう思いながらハボックをチラリと見れば空色の瞳が忌々しそうに俺を見下ろす。
「うわー、なんかムカつく!」
「ジャクリーンは何もしてないだろう?」
「目つきがオレを馬鹿にしてるっス」
 駄犬とはいえ犬は犬同士、考えていることが判るらしい。ハボックと睨みあうように視線を交わしていれば大佐が言った。
「とはいえ、流石に会議にお前を同席させたらぐちゃぐちゃ煩いのがいそうだな。悪いが、ジャクリーン。今日は待っていてくれ」
 えっ、そんな?俺、ちゃんといい子にしてるのに!
 そう思いながら俺は大佐の裾を引いたが大佐は「いい子にな」と言って会議室に入ってしまう。振り向けばハボックがニヤニヤと笑って俺を見下ろしていた。
「犬は犬らしく外で待ってな」
 ハボックはそう言うと大佐の後を追って会議室に入る。無情にもパタンと目の前で閉まった扉に俺は低く唸って扉の前に座り込んだ。
 俺の名はジャクリーン、誇り高きシェパードだ。二ヶ月ほど前から大佐の部下として働いている。その働きはハボックに勝るとも劣らないと自負しているのにこの扱いはどういう事だ。ほんの少し大佐に腹を立てて、手の上に顎を載せて廊下を行き交う軍人たちの足下を見ていた俺は、するすると足の間を縫って歩く黒い塊に目を見開いた。
(あれ?)
 俺は立ち上がるとその黒い塊を追う。そうすればその塊が足を止めて俺を振り向いた。
「なんだ?」
 と、ソイツは俺を見つめて言う。よく見ればそれは頭のてっぺんから尻尾の先まで真っ黒な猫だった。
「なんだって……ここで何をしてるんだ?」
 猫にしては珍しい真っ黒な瞳でじっと見つめられて、俺はドギマギしながらそう尋ねる。黒猫はフンと鼻を鳴らして言った。
「私が自分の縄張りでなにをしていようが勝手だろう?」
「縄張り?」
 黒猫はそう言うとさっさと歩きだしてしまう。俺は慌てて追いかけると黒猫の後ろから言った。
「縄張りって、アンタ、ここに住み着いてるのか?」
 誰かが猫を飼ってるなんて聞いたことがない。俺は行き交う軍人を右に左によけながら黒猫を追ったが、追いつこうと焦るあまり軍人の足にぶつかってしまった。
「キャウンッ!」
 思い切り鼻先をぶつけて俺は悲鳴を上げて蹲る。こんなみっともないところ大佐にもハボックにも見られなくてよかったと思いながら鼻を撫でていれば、すぐ側からクスクスと笑う声が聞こえた。
「意外とドジだな」
 気がつけば黒猫が俺の側に座ってその黒い瞳を俺に向けている。俺は少し恥ずかしくなって顔を背けて答えた。
「ちょっとよけるタイミングを間違えただけだ」
「ふぅん」
 俺の言葉に黒猫が肩を竦める。呆れられたのかとなんだかがっくりして目を閉じれば、いきなり鼻に濡れたものが触って俺はびっくりして目を開けた。
「動くなよ」
 開いたすぐ目の前に黒猫の顔。痛めた鼻先を舐められているのだと気づいて、俺は心臓が飛び出そうになった。
 制止の言葉をかけた黒猫はペロペロと俺の鼻を舐める。少しして舐めるのをやめると、俺の顔を覗き込むようにして言った。
「どうだ、痛くなくなっただろう?」
「あ、あ、あ、ありがとうっ」
 どもりながら礼を言えば黒猫がクスリと笑う。その綺麗な笑みにドキンと心臓を跳ね上げる俺をそのままに、黒猫は近くの窓に軽々と飛び移った。
「気をつけて歩くんだな」
 黒猫は言ってそのまま外へ出ていこうとする。俺は慌てて身を起こすと窓枠に足を掛けた。
「待って!俺はジャクリーン、アンタの名前はッ?」
 黒猫はすぐには答えずピョンと外へと降りる。肩越しに振り向いて窓から顔を出す俺を見上げて言った。
「ロイ」
「ロイ……、あ、待って!」
 ロイはそれだけ言うとさっさと歩きだしてしまう。俺はこのまま別れてしまうのが嫌で、必死に窓枠を乗り越えたがバランスを崩して外へと落ちてしまった。
「キャンッ!」
 怪我こそしなかったものの肩を強かに打ちつけて痛みに顔を歪める。すぐには動けずにいれば、すぐ側で呆れたような声が聞こえた。
「ホントにドジだな、お前」
「ロイ……」
 ロイは呆れたような面白がるような光を黒い目にたたえて俺を見る。俺は恥ずかしさを誤魔化すように歯を向いて答えた。
「だって、待ってって言ったのに、アンタ行っちまうから」
 待ってくれればあのくらいの高さの窓、ちゃんと乗り越えられたのに。そう言う俺にロイは笑って言った。
「ここは私の縄張りだと言っただろう?慌てて追ってこなくても戻ってくる」
「あ」
 言われて俺は顔を赤らめる。そんな俺をロイはじっと見つめていたが、クルリと背を向けた。あっ、と思った瞬間、ロイが肩越しに振り向いて言う。
「一緒に来るか?」
「っ!行きます!」
 言って慌てて立ち上がればクスリと笑うロイに、俺は急いで追いつくと並んで歩いていったのだった。


2011/02/22