「え?今なんて言った?」
 神妙な顔で執務室に入ってきたハボックが言った言葉にロイは目を丸くする。てっきり何かミスでもしたのかと思いきや、ハボックが口にしたのは仕事とは全く関係のない事だった。
「や、その……今日は大佐の言うこと、何でも聞くって言ったんス」
 ハボックは大きな体を小さく縮め、あちこちへ視線をさまよわせる。目元に薄く朱をはいた瞳でチラリと上目遣いに見られて、ロイはドキドキしながら聞いた。
「……どうして?」
「だって今日は6月8日っしょ?大佐とオレの日じゃないっスか。だから……」
 ハボックはそう言うと恥ずかしそうに腹の前で両手を組んだり解いたりしている。据え膳食わぬはなんとやら。相手がいいと言うのだから喜んで頂くのが当然といえば当然であろう。だが、ハボックのこんな姿を見せられれば、かえって可愛すぎてうっかり手を出せないというのも事実だった。
「ありがとう、ハボック。だが、気持ちだけ貰っておくよ」
「えっ?」
 ロイが言えばハボックが驚きに弾かれたように顔を上げる。まんまるに見開かれた空色が「どうして?」と不安そうに聞いてくるのにロイはにっこりと笑って答えた。
「いつもなら逃げ回ってばかりいるお前がちゃんとこの日を覚えていてくれて、そんな風に思ってくれる。私はそれだけで満足だ」
「大佐……」
「それに今日が過ぎても私たちは恋人同士だろう?別にどちらがどちらの言うことを聞くとか、そう言うことに拘らずとも普通の恋人同士でいいじゃないか」
 優しくそう言えばハボックも安心したように笑う。
「オレ、大佐の事大好きっス」
「私もお前を愛しているよ、ハボック」
 そう言いあって軽くキスを交わすと「じゃあ」と部屋を出ていったハボックを幸せな気持ちで見送ったロイだったが。


「な?俺が言った通りだったろう?」
「うん、まさかあんなに上手くいくとは思わなかった」
 三十分も早く会議が終わって上機嫌で戻ってきたロイは、丁度通りかかった休憩所から聞こえてきた声に足を止める。そっと覗けば案の定、声の主は部下である二人の少尉だった。
「大佐みたいな人はさ、嫌がって逃げたりするとかえって煽っちまうんだよ。だからそこを逆手にとって自分からどうぞ、って言えばいいって訳よ」
「流石ブレダ。おかげで今年のロイハボの日はゆっくり過ごせる」
「感謝しろよ」
「今度奢るって」
 ソファーに寄りかかってプカリと煙草の煙を吐き出すブレダにハボックが嬉しそうに笑って言う。
「しかし、お前も毎年大変だな。なんだよ、“ロイハボの日”って」
「知らねぇ。もう、勝手に変な記念日作るから参るよ、ホント」
 でも、今年はこれで安泰と笑いあう二人の声を聞いていたロイの眉間に深い深い皺が刻まれる。ゆっくりと休憩所の入口から姿を現して口を開いた。
「なるほど、そう言うわけだったのか」
「…ッ?!大佐っ?!」
「えっ?だって今会議中じゃ…っ?」
 突然現れた上司に二人の少尉が飛び上がる。ロイはソファーに張り付くように座っている二人に近づきながら言った。
「なんて可愛らしい事を言うんだろうと感激した私が馬鹿だったというわけだ」
「や、大佐っ、これには色々わけがっ!」
「そうそうっ、色々わけがっ!」
 必死に言い訳をしようとするハボックとブレダにロイが言う。
「色々訳が?いいだろう、じっくり聞かせて貰おうじゃないか。まだ六月八日は始まったばかりだしな」
 そう言ってにんまりと笑うロイに、カレンダーから六月八日という日を消し去ってしまいたいと思うハボックとブレダだった。