| after the mission |
| 「お前にならかまわない」 息の止まるその瞬間までこの空色を見ていられるなら、それでもいいと思った。 「ハ〜ボっ、おいっ、どうした?」 ブレダに揺すられてハボックはハッとして顔を上げた。 「ああ、わりぃ…」 「どうしたよ、ここんとこ変だぜ?もしかしてまだ傷が痛むのか?」 「いや、そんなんじゃない…」 心配そうに言うブレダに微かに笑ってハボックは答えた。午後の日差しの差し込む司令部の中、ハボックとブレダは先日の令嬢誘拐事件の報告書を作成している所だった。 幹部の釈放を求めて資産家令嬢を誘拐したテロリストの殲滅及び令嬢の救出という作戦は、ロイの指揮のもと鮮やかに遂行されたが、令嬢の救出に当たったハボックは敵錬金術師の練成したキメラと遭遇し、一歩間違えば致命傷という傷を負ったのだった。 「にしても、お前、もう少し入院してなくて良かったのかよ」 下手すりゃ死んでた怪我だったんだろうと言うブレダに、ハボックは曖昧に笑って見せた。 確かにもう少し入院治療をしてはどうかとも言われたが、あのマイペースな上司のことが放っておけず、ハボックはなかば強引に退院をもぎ取ってきたのだ。その上司は今は、麗しの中尉殿の監視下、山ほどの書類に埋もれている筈だ。ハボックは執務室の扉を見やり小さくため息をつくと、席を立った。 「ハボック?」 「何か飲まないか?ついでにあっちのも淹れて来るから」 そう言って顎で示せばブレダもああ、と頷いた。 「コーヒー淹れてくるわ」 そう言いながら司令部の扉をくぐった。 給湯室でコーヒーを淹れながらハボックは小さく頭を振った。まだ傷が完治していないせいだろうか。ここのところずっと頭の一部がぼうっと麻痺しているような感じがする。 (でも、怪我したのは右肩だし、頭は関係ないよな) そう思いながらぽたぽたと落ちるコーヒーサーバーをぼんやりと見つめる。暫くして4人分のコーヒーが入るとカップに注ぎ分けトレイに乗せて司令部に戻った。 「ほら」 「お、サンキュ」 ブレダの分のカップを渡してやるとそのまま執務室の扉をノックと同時に開けて中へ入っていく。机の横に立っていたホークアイが振り向いて、コーヒーの香りに微笑んだ。 「お疲れ様っス」 そういってハボックがコーヒーを渡すとありがとう、と受け取る。 「仕事、ちゃんとやってます?」 ロイの机にカップを置いて問えば 「見ればわかるだろう」 と不機嫌な声が返ってきた。 ホークアイをちらりと見ると苦笑いを浮かべて肩をすくめている。ハボックもうっすらと笑って自分の分のカップを手にした。 「お前の方こそ報告書はどうした?」 「あと少しで完成っス」 尋ねてくるロイにコーヒーをすすりながら答える。 「傷の具合はどう?」 ホークアイが心配そうに尋ねてきた。 「大丈夫っスよ。無謀な上司を止めるくらいなら何時でもオッケーっス」 ハボックが言うのに「なんだと」とロイが眦をあげる。それを冷たい視線で留めて 「ムリしないで」 とホークアイが言ってくるのに敬礼で答えて、ハボックは執務室を後にした。 仕事を終えてハボックはアパートに向かっていた。今夜はロイはホークアイを伴って市長の晩餐会に出席のはずだ。ハボックは簡単に夕食を済まそうと馴染みの店に寄ると酒とちょっとしたつまみを頼んで窓際の席に座った。 ぼんやりと夕暮れの通りを見ていると、店の外で何人かの男が諍いを始めたのが目に入った。ちょっとした小競り合いかと暫くは様子を見ていたが、収まるどころかむしろ周囲の人間を巻き込んで大騒ぎになってきている。ハボックは眉を顰めて立ち上がると店の外に出て、中心となって騒ぎ立てている男の襟首を掴んだ。 「おい、いい加減にしろ」 「なんだとぉ、てめぇに関係ないだろうがっ!」 背の高いハボックに吊り上げられる形になった男はジタバタと手足を動かして喚いている。それをぽいと放り投げる様に通りに下ろすと、無様にしりもちをついた。 「ぎゃあぎゃあ喚かれてるとメシもおちついて食えないんだよ」 ため息と共にハボックが言うと、男はハボックの態度にカッと来たのかポケットからナイフを出して身構えた。 「うるせぇっ、思い知らせてやる!」 そう叫んで切りつけてくるのをひょいと避ければ男はたたらを踏んで転んだ拍子に自分の腕を持っていたナイフで傷つけてしまった。 「痛え…っ!」 一人で騒いでいる男の流れる赤い血を見ていたハボックは急激な頭痛と眩暈を感じた。よろめいて店の壁に背が当たる。 (え―――?なんだ、コレ) 自分の中でずるりと何かが這い出した気がした。その何かは目の前の赤い血を見て舌なめずりをしている。 モット、チガ、ミタイ…。モット、モット…。 目の前が真っ赤に染まった気がして一歩踏み出そうとした時。 「何をやっている!」 騒ぎに駆けつけた憲兵の声にハッとして我に返った。憲兵の登場に群集は散り散りになって行く。ハボックも頭を振ると店の中へ戻った。 ろくに食事も喉を通らぬまま店を出て、ハボックはアパートに戻った。 (さっきのはなんだったんだろう…) まるで自分のものではないような感覚。でも、身の内から沸きあがったその感覚は抵抗するにはあまりにも強いものだった。 (あの時、憲兵が来ていなかったら―――) ハボックはぞくりと背を震わせて部屋の中に立ち尽くした。 その夜以来、ハボックは自分の記憶に曖昧な部分があることに気が付いた。特に夜、アパートに戻ってきてからの記憶に抜け落ちている部分が多々あるのだ。眠っていたのかとも思ったが、ふと気が付いたときにぼんやり部屋の中に立っていたりするので、そうではないと知れる。自分が何をしているのかわからない。それはとてつもない恐怖を持ってハボックに圧し掛かってきた。 ある時、ハボックはまたぼんやりと自分が立っていることに気が付いた。その時はそこは自分の部屋ではなく、アパートの裏の路地の片隅だった。自分が何か持っていることに気が付いたハボックはその手を見下ろして、そして。 「ひ…っ」 それは無残に引き裂かれた猫の死骸だった。 ハボックの様子が変だ。 ロイはぼんやりと机に向かうハボックを見て眉を顰めた。このところ忙しくてゆっくり話す暇もない二人だが、いつもなら何かにつけて軽口を叩いてくるハボックがまるで人が変わったように陰鬱に黙りこくっている。さり気なく何かあったのか聞いてみてもほとんどこちらを見ようともしない。そんなハボックの様子に焦れて、ロイは今夜は絶対聞き出してやると心に決めた。 なかなか開かないアパートの扉に焦れてドンドンと力任せに叩く。ようやく開いた扉の隙間から覗いたハボックの顔はすっかり憔悴しきって、ロイは一瞬言葉に詰まった。 「何か用スか?」 「中に入れろ」 顔が見えるぐらいの隙間を開けただけでそれ以上扉を開こうとしないハボックを押しやるようにしてロイは中へ入ろうとする。だが、ハボックは片手を上げてロイの肩を掴むと首を振った。 「帰ってください」 「嫌だ」 囁くように言うハボックをロイは見上げて強く言うと強引に部屋の中へ入った。 「大佐っ」 「理由を聞くまでは帰らない」 譲らないロイにハボックは泣きそうに目を見開いて叫んだ。 「大佐っ、頼んますから…っ」 「何があった、ハボック」 強い瞳で見つめられてハボックは言葉に詰まる。 「言え」 ロイの言葉に息をのんだハボックは次の瞬間身を翻して外へと飛び出して行った。 「くそ、アイツ、どこへ…」 飛び出していったハボックを追って夜の町へと駆け出したロイは通りへと目を走らせた。夜もだいぶ遅い時間になり人通りはまばらになってきている。しかし、町へと出たはずのハボックの姿は見当たらなかった。ロイはハボックと一緒に通ったことのある道を順に見て回ったがその行方は杳として知れなかった。 あんなハボックは見たことがない。たとえどんな逆境にあってもそれを楽しむように、ハボックはいつでもふわりと笑って見せた。その空色の瞳には決して揺らぐことのない自信が満ちていた。しかし、今夜のハボックはまるで怯えきってとても同じ人物とは思えない。しかも、その理由を問いただす自分から逃げ出すなど、ロイにとって考えられないことだった。 気が付くと倉庫街の方へと来ていた。ロイは暫し逡巡した後、ポケットから発火布取り出してそれをはめた。ゆっくりと歩を進めるロイを雲の隙間から月が照らし出す。じゃり、と言う音に振り向けばそこにはやはりハボックがいた。こちらを見つめる空色の瞳は僅かに見開かれて口元からは荒い息が漏れている。 「ハボック」 ロイが呼ぶ声に僅かに体を震わせて、だがしかし、その表情には声の人物が誰であるかを認識している様子はなかった。そのままどのくらい動かずにいたのだろう。次の瞬間、ロイは自分の喉下を目がけて伸ばされる腕を避けて転がっていた。避けられて、だがハボックはそのまま勢いを落とさずに体をねじって攻撃を仕掛けてくる。大きな体に似合わぬその俊敏な動きに、ロイは舌打ちをしてさらに後ろへ飛び退った。目の前に迫る腕に発火布をはめた手を上げるが、僅かに顔をゆがめて手を下ろした。その瞬間ハボックの手がロイの喉に絡みついた。 「―――っ!」 ぐいぐいと締め上げてくる指をなんとか外そうと掴むがまるで歯がたたない。ハボックの空色の瞳を見返す自分の視野の片隅に、練成陣を描いた発火布が目に入った。だがロイは一度目をぎゅっと瞑るともう一度ハボックの瞳を見つめた。霞む視界にただ綺麗な空色だけが広がっていく。これも自分が望んだことなのかも知れないとぼんやりと思った時。 喉を締め上げる拘束が解かれ、急速に空気が肺に入ってきた。あまりに急激な変化に体が付いていかず、げほげほと喉を押さえて咳き込む。苦しい呼吸の中ロイがハボックの方を見上げれば、ハボックは苦しそうに自身の体をかき抱いていた。 「ハボック…っ」 ロイがかすれた声で名を呼べば、大きく体を震わせて跳び退る。 ハボックの手にはいつの間にか銃が握られていた。その銃口はピタリとロイに向けられ――― 「ハボック!!」 ロイが叫ぶのと同時にその銃口が火を吹いた。 蹲るロイの頭から十数センチ離れた所にあった荷箱が銃弾に削られてくすぶっていた。ロイの目の前では両手で銃を握り締めて立ちすくむハボック。見開いた空色の瞳からはとめどなく涙が零れていた。そうしてロイを暫く見つめていたハボックの右手が銃を持ったままゆっくりと持ち上げられ、ハボック自身のこめかみにピタリと当てられる。指が引き金を引く寸前、ロイの発火布をはめた手が翻り次の瞬間小さな焔に手を包まれたハボックは持っていた銃を取り落としていた。腕を押さえるハボックにロイは地面を蹴って飛び掛るとそのままハボックを押し倒した。押さえ込まれてロイを見上げるハボックの顔は幼い子供のように不安と恐怖に歪み、その空色の瞳からは涙が溢れ出ていた。その口が自分の名を呼ぶ形に動いたのを見てロイはうっすらと笑った。 「ハボック」 名をよんで口付ける。 「ハボック」 何度も何度も。 ハボックの体から強張りが消え、その腕が自分の背に優しく廻されるまで。 「結局、医者共の言い訳はなんだったんだ?」 病院の廊下を歩きながらロイはホークアイに訪ねた。 「はい、キメラの爪に特殊な毒素が含まれていたということです。それも、体内に入ってすぐに働くようなものではなく、 時間をかけてゆっくりと変化し、毒に犯された人間の攻撃中枢や凶暴性を刺激するという性質のものです。 体に入ってすぐ変化がなかったので見落としたと主張していましたが」 「とんだ藪医者だ。」 ロイは苦々しげに呟いた。ハボックはその後病院に収容され、研究用に保存されていたキメラの体から精製された解毒剤を投与されて症状は回復に向かっていた。 「ハボックもおかしいならおかしいとさっさと言っていればよかったんだ」 怒ったように言うロイをホークアイは困ったように見て言った。 「自分が血を求めて彷徨うような凶暴性を持っていると気が付いた時、それを簡単に口に出せる人間はそういないと思います」 「私なら言うがな」 傲慢にそう言い放つロイにホークアイは苦笑するしかなかった。目指す病室の少し手前で立ち止まると、ホークアイはロイにハボックの病室を伝えて、自分は司令部へと戻っていった。ロイはその背を暫し見送っていたが、歩き出すと病室の扉を開けた。 「調子はどうだ?」 ベッドに体を起こして座っていたハボックにロイは声をかける。ハボックは目を上げずに自分の手を見つめたまま言った。 「来ないでください」 ロイはベッドから少し離れた所で立ち止まる。 「何故?」 「オレはアンタを殺そうとしました。首を絞めてあまつさえ銃で撃った…っ」 吐き捨てるように言うハボックをロイは黙ったまま見つめている。 「何があっても守ると決めていたアンタを、オレは―――」 「だが、外した」 ハボックの言葉にかぶせるようにしてロイが言う。 「本気で私を殺す気ならお前が外すことはありえないだろう」 「でも…っ」 ハボックは俯いて拳を握り締めた。そのハボックにロイは言った。 「では、償え。一生私の側にいて償い続けろ」 ロイの言葉にハボックが初めて顔を上げる。 「一生、私の側から離れることは許さない。側にいて私に手を貸せ。一生を懸けて償い続けろ」 「大佐…」 ロイはベッドの側に歩み寄った。ハボックの空色の瞳がロイを映し出す。 息の止まる瞬間まで、その瞳を手元において放さないことを誓って、ロイはハボックの頬に手を伸ばした。 2006/5/15 |
『ハボックに似た瞳を持つ敵を前に攻撃を躊躇するロイ』というお題を頂いて書いたんですけど、どうしても『ハボックに似た敵』とハボックとロイをどう絡ませたらいいのか思いつかず、結局ハボその人になってしまいました。しかも、ハボに攻撃されたらロイはどうするだろうっていまだに悩んでいます。この話ではロイはハボになら殺されてもいいと思ってますけど、実際どうでしょうね。内心どうにもならない程傷つきながらもハボのこと殺しちゃうような気もするし、うーん。悩みます。 |