absence



「大佐、いいですね、金狼亭のオヤジにちゃんと頼んでありますから、晩飯、食べに行ってくださいよ。それから、洗濯は余計なことしなくていいから、そのままカゴにいれといてください、帰ったら纏めてあらいますんで。それと―――」
「あー、もういいからとっとと行けっ!子供じゃないんだから一人で出来るっ!」
「…ホントかなぁ、やっぱブレダに頼んで…」
「いい加減にしろっっ!!列車に遅れるぞ!」
 ロイにそう言われてハボックは慌てて時計を見た。
「げっ、やばっ!じゃ、ちょっと行ってきますから、いい子にして待ってて下さいねっ!」
 ハボックはそう叫ぶとボストンバッグを引っつかんで家を飛び出していった。ロイはその後姿を見送ってため息をつく。
「なにがいい子に、だ。私は子供じゃないぞ」
 ロイは不満そうにそう呟くとソファーにぼすんと腰を下ろした。ハボックは今日から5日の予定で南部へ出張することになっていた。一人にしておくと、どうにも人間らしい暮らしからすぐ遠ざかってしまうロイを心配して、ハボックは事細かにロイに言い置いていったのだが、ロイにしてみればたかが5日、ハボックがいないということは小うるさく言う輩がいないということで清々こそすれ、困ることなど何もないと思っていた。そもそもハボックと暮らすようになる前は、この広い家に一人で住んでいたのだ。その時のことを思い出せば、ハボックが居ないことなど何ともないと思っているロイだった。


「ご苦労だった」
 ロイはそう言うと車を降りて玄関の前に立った。家の鍵を出そうとして、がさごそとポケットの中を探る。
「…どこだ?」
 普段、玄関の鍵などハボックに任せっきりで、最近は自分であけたことなどない。ロイはコートや軍服の上着のポケットを散々探し回ってようやく家の鍵を取り出した。ちらりと振り向けば、ロイが家の中に入るのを見届ける為、車の側で待っている警備兵が居心地悪そうに立っていた。ロイはさり気ない風を装って鍵を開けると家の中へ入る。ロイが灯りを点けたのを確認した警備兵が車を発進させる音を聞きながら、ロイはほっと息を吐いた。
「くそ、それもこれも全部ハボックのせいだ。アイツがいつも勝手に鍵を開けるからいけないんだ」
 ロイは鍵がなかなか見つからなかったのをここに居ないハボックのせいにすると、リビングへと向かった。上着を脱いでぽんとソファーの上に放り投げるとキッチンへと入り、冷蔵庫から水を取り出す。グラスを出すのが面倒で、そのままボトルに口を付けると水を飲んだ。リビングに戻るとソファーに投げ出されたままの上着が目に入る。
『もう、すぐ脱ぎ捨てたままにするんだから。皺になっちゃいますよ』
 そう言って上着を拾い上げるハボックの姿が見えた気がしてロイはぷるぷると首を振った。ロイはソファーに歩み寄ると上着を拾い上げる。
「お前がいっつも先にやってしまうから、わたしがやる暇がないんだ」
 ロイはそう呟くと上着を手に2階へと上がっていった。軍服をクローゼットに吊るして服を着替えると階下へと下りる。
『もう少ししたら食事できますから、先にシャワー浴びてきてもいいですよ』
 キッチンから聞こえるはずもない声がしたような気がして、ロイは眉を顰めると食事をするべく外へと出かけた。


「マスタングさん、いらっしゃい」
 店のドアを開けて入ると、すぐさま店の主人から声が掛かった。ロイはハボックと来た時いつも座るテーブルに腰を下ろす。主人がにこにことしながらロイのところへやってくると口を開いた。
「ハボックさん、出張なんだって?」
「ああ…」
「何にするかね?今日は鶏肉料理がおススメだよ」
 ロイはそう言われて暫し考えたが、口に出しては「コーヒー」と答えた。
「マスタングさん、晩飯食べに来たんだよね?」
「そうだが」
 だから何なんだ、というような顔をしたロイに主人はため息をつくと奥へと入っていった。ロイは店の窓から夕闇が迫る街の通りを見る。家路を急ぐ人々の姿はロイの心になんとはなしにノスタルジックな気分を起こさせた。ロイは小さく息をつくと店の中へ視線を戻した。
「はい、お待ち」
 そんなロイの前に湯気のたった肉料理を盛った皿が置かれる。びっくりして顔を上げると、店の主人がにこにこと笑いながら立っていた。
「こんなものを頼んだ覚えはないんだが」
 ロイがそう言うと、主人は苦笑して答えた。
「ハボックさんが、マスタングさんはきっとコーヒーぐらいしか注文しないだろうから、その日のおススメを適当に出して やってくれって言ってたんですよ」
 まさかと思ったけど、本当でしたね、と笑いながら言う主人にロイはかすかに眉を顰めた。
「悪いが…」
「マスタングさん、せっかく腕をふるって作ったんだ。食べていっておくれよ」
 断る間もなくそう言う主人にロイは仕方なしにフォークを手に取る。一口食べて、その優しい味にロイは自分が腹をすかせていた事に気がついた。
(どんな時でも人間、腹が減るんだ…)
 ロイはかすかに微笑んで主人を見上げる。
「とても美味しい」
 ロイの言葉に主人はうれしそうに笑った。


 ロイはベッドの中から腕を伸ばすと枕もとの時計をとった。ベッドのなかにソレを引きずり込んでぼんやりと時間を確認し、次の瞬間ガバッと飛び起きた。
「なんで、こんな時間―――っっ」
 ロイは慌ててベッドを飛び降りると、寝室を出て階下へと駆け下りる。ダイニングへ顔をだすと大声で怒鳴った。
「ハボックっ、なんで起こして…っっ」
 そこまで叫んでひんやりと冷え切った部屋に口を閉ざした。
「そうだ…いないんだった…」
 ロイはそう呟くとのろのろと寝室に戻る。顔を洗って服を着替えると再びダイニングへと戻ってきた。冷蔵庫からミルクを取り出すとカップに注ぎ冷たいまま一気に飲み干した。冷たいそれに体の芯から冷えるような気がする。
『大佐、カフェオレどうぞ。卵、何がいいですか?オムレツ?目玉焼き?』
 ロイは首を振ると優しい声を頭から締め出す。
「うるさいな、朝からそんなに食べられるか…っ」
 ロイはそう言うとカップをシンクに乱暴に置いた。


「あっ」
 ロイはそう叫ぶと胸元に広がった染みを見つめた。食事に行くのが面倒で、かと言って何か作ることもせず、ロイはワインを飲みながら本を読んでいたのだが、乱暴にグラスを置いた弾みにとんだワインがロイのシャツの胸元に赤紫の染みを作ったのだった。
「くそっ」
 ロイは乱暴にシャツを脱ぎ捨てると丸めて放り投げる。シャツはソファーと窓の隙間に落ちて見えなくなった。ロイはグラスに残ったワインを飲み干すと本を放り投げて浴室へと入っていく。服を脱ぎ捨て中へ入ると熱いシャワーを出して頭からザアザアとかぶった。喉を逸らして熱い湯を顔に受けるロイの耳元に不意にハボックの声が蘇った。
『たいさ…たいさ…』
 熱く囁く声にロイの体をゾクリとしたものが駆け上がる。ロイは左肩を壁につけるようにして寄りかかると、そっと自身を扱き始めた。降り注ぐ熱い湯の細かな一滴一滴がロイの肌を刺激する。
「あ…ぅん…んんっ…」
 浴室の中にロイの甘ったるい声が響き、その声にかぶさるようにロイの耳にハボックの声が響いた。
「あ…はっ…あ、あ…ハ、ボ…っ」
 ロイは背を逸らしてびくびくと震えると手の中に熱を吐き出してしまう。荒い息を吐きながら手の中の白濁が、シャワーに流されていくのを見つめていた。
「早く帰って来い…ばか…」
 ロイはそう呟くと壁に寄りかかって瞳を閉じた。


「あれ、大佐、まだ帰らないんですか?」
 まだ執務室で書類に向かっていたロイにブレダが驚いて声をかける。
「ああ、まだ仕事が残っているのでね」
 普段なら仕事が残っていようが時間が過ぎればとっとと帰ってしまうのに、今日に限って進んで残業をしているロイにブレダは首を傾げた。
「大佐、ちゃんとメシ、食ってますか?」
 突然そんなことを言い出すブレダにロイは眉を顰める。そんなロイにブレダは苦笑して答えた。
「いやだってね、ハボックのヤツが大佐がちゃんと食事してるか確かめてくれって言ってたもんで」
 そんな風に言われてロイの眉間の皺が益々深くなる。
「子供じゃあるまいし…」
「全くですよね」
 それじゃお先に失礼します、と言って部屋を出て行くブレダの背を見送ってロイはため息を付いた。結局金狼亭に食事に出かけたのは最初の日だけで、後は家で酒を飲んで済ませていた。朝は食べないかせいぜいミルクを一杯。昼は会食でも入っていればそれなりに食べていたが、そうでなければ執務室の机の引き出しにしまってあったクッキーで済ませたりしていた。ロイは手を伸ばして書類を取ると目を通してサインをする。黙々と作業を続けている間は余計なことを考えずに済むので、ロイは今日はこのまま家に戻らずに溜まった仕事を片付ける事にした。それに家に帰ればそこここにハボックの名残が残っていて、嫌でも不在を意識させられる。
「別にだからってどうってことはないんだ…」
 ロイはそう呟くと乱暴にサインをする。まるでそれが憎むべき敵のようにロイは書類を睨みつけるとガリガリとペンを走らせた。


 夜もだいぶ更けた頃になって、突然執務室の電話が鳴り響いた。ロイはぎょっとして書類を捲る手を止めたが、数度瞬きすると受話器を取った。
「…はい、司令し――」
『たいさっ?!』
「…ハボック?」
 ロイは突然受話器の中から聞こえてきた声にビックリして目を丸くする。
『アンタ、なんでそんなトコにいるんですっ?!』
 電話越しにいきなり怒鳴られてロイはムッとして答えた。
「何って、仕事に決まってるだろう?」
『普段サボりまくってるくせに、なんで今日に限って仕事なんてしてんですか』
 あまりの言い草にムカムカしてロイは言い返す。
「お前こそ、何電話なんてしてきてるんだっ?!」
『だって、家に帰ったらアンタいないし、どうかしたのかと思って心配したじゃないですかっ!』
「家?家にって、お前帰ってきてるのか?」
 確かハボックが戻ってくるのは明日のはずだ。それなのにどうして、と思うロイの耳にハボックの声が聞こえてきた。
『仕事、急いで終わらせて帰ってきたんスよ。アンタ、一人にしとくの、心配だったし』
 その言葉にロイの目が見開かれる。
『とにかく、そっちに行きますからっ!ちゃんと待っててくださいよっ!!』
 言うだけ言ってガチャンと切れた電話にロイは呆然とした。しばらく受話器を見つめていたがかちゃりとフックに戻すとホッと息をつく。くすりと漏れた笑みが次第に大きくなり、ロイはくすくすと笑った。
「あのバカ…」
 きっとあと少ししたら息せき切って駆け込んでくるであろう金髪の部下のことを思って、ロイは笑う。その笑みがとても幸せそうであることを見るものは誰も居なかった。



2006/11/2


お留守番するロイのお話でした。ロイ、ハボと暮らす前はどんな生活してたんだか…。今やよくも悪くもハボがいないとダメなんだけど、自分じゃそれを認めたくなかったり。ホントは淋しくて仕方ないのに絶対そうとは言えない意地っ張りなロイです。