第五十九話


「ただいま、ハボック」
「ろーいっ」
 ガチャリと玄関の鍵を開ければ途端にハボックが飛び出してくる。ぱふんとしがみついてくる小さな体を受け止めてロイは言った。
「遅くなって悪かったな」
 一時間くらいと買い物に出かけたものの、途中蚤の市で古本を出しているのを見つけてついつい長居してしまった。ムゥと唇を突き出して見上げてくる空色に、ロイは「ごめんごめん」と金髪をかき混ぜて言った。
「そのかわりいいものを買ってきたぞ」
「ろい?」
 ロイは持っていた紙袋の中に手を入れる。本の間から細長い筒状のものを取り出してハボックに差し出した。
「万華鏡だよ」
「ろーい?」
 ハボックは不思議そうに筒を眺め振ってみる。首を傾げるハボックにロイはクスリと笑った。
「明るい方へ向けて筒を覗いてごらん」
 そう言われてハボックは窓の方へ筒先を向けて片目を筒に当てる。中を覗き込んだハボックの空色の瞳が大きく見開かれた。
「ろーいッ!」
「こうやってゆっくり回すんだ」
 ロイは言いながら筒を回してやる。中でキラキラと模様が変わったのだろう。ハボックがパアッと顔を輝かせた。
「ろいっ、ろーいっ」
「ふふ、気に入ったか?」
「ろいっ」
 コクコクと頷いたハボックがロイにギュッと抱きついてくる。ポンポンと背を叩くロイににっこりと笑ったハボックが万華鏡を手に家の中へ駆け込んでいく姿をロイは嬉しそうに見送った。

 その日からと言うものハボックは万華鏡を片時も手放さなくなった。窓辺だったり庭の紫陽花の側だったり場所は違ったものの、とにかく朝から晩まで万華鏡を覗いている。ロイが何か話しかけても返事が返ってくる事は殆どなくて、ロイはハボックに万華鏡をあげたことを後悔し始めていた。
「ハボック。朝顔のツルがずいぶん伸びたな。そろそろ花が咲くんじゃないか?」
 窓から庭を眺めながら言ったロイの言葉に、普段なら庭に飛び出していくハボックはまるで聞こえていない様子で万華鏡を眺めている。
「ちょっと手伝ってくれないか?ハボック。書斎の片づけをしたいんだ」
 そんな風に言えば嬉々として手伝ってくれたものなのに、やっぱりハボックは万華鏡から目を離そうとしないのだ。
(絶対気に入るとは思ったが、まさかここまではまるとは)
 喜ぶだろうと思ってはいたものの、幾ら何でもこれはいきすぎだ。なによりその空色が自分を見てくれない日々が続いて、日が経つにつれロイの機嫌は悪くなっていった。

「ハボック、そろそろ起きて――――」
 言いながら寝室の扉を開けて中を覗いたロイは、クッションの山の中、ハボックが万華鏡を抱き締めて眠っている姿を見つけて眉を顰める。足音を立てないように寝室の中に入ったロイは、クッションの山に近づくとスウスウと寝息を立てるハボックを見下ろした。
「なんだってそんなにそんなものがいいんだ」
 ハボックが綺麗な物が大好きなのは知っている。だから万華鏡を買ってきたのだ。だが。
 ロイは手を伸ばすとハボックの腕の中からそっと万華鏡を抜き去る。
「あんまり一つ事にのめり込むのはよくないんだ」
 そう小さく呟いて、ロイは万華鏡を手に寝室を出た。

 リビングのソファーに座って本を読んでいるロイの耳にハボックの悲鳴が聞こえる。二階で何やら引っ掻き回す音がしたと思うと、パタパタと足音がしてハボックがリビングに飛び込んできた。
「ろーいッ」
「どうした、ハボック。階段は駆けちゃいけないと言っているだろう?」
「ろーいッッ」
 本から顔も上げずに言えばハボックがロイの腕を引っ張る。あんまりグイグイ引くので仕方なしに本を置いて立ち上がれば、ハボックがロイを二階へと引っ張っていった。
「ろいッ、ろーいッ!」
 ハボックは必死に訴えてクッションの山をひっくり返し、カーテンを翻し、ベッドの下を覗く。それでも目当てのものを見つけられず、ハボックはロイの腕を掴んで叫んだ。
「ろいーッ、ろいッ!」
「……たっぷり楽しんだじゃないか、万華鏡はもういいだろう?」
 見上げてくる空色を見返す事が出来ず僅かに視線を逸らしてロイは言う。その途端大きく見開いた瞳から空色の涙がポロポロと零れ落ちた。
「ろーい〜っ、ろい〜っ」
 ぺたんと床に座り込んでハボックはポロポロと涙を流し続ける。しゃくりあげては泣き続けるハボックを見れば流石に罪悪感が込み上げて、ため息をついたロイはハボックを抱き上げて寝室を出るとリビングに行き戸棚の引出しから万華鏡を取り出した。
「ハボック」
 手にしたそれを差し出せばハボックが目を見開く。
「お前があんまり万華鏡ばかり見ているんで面白くなくてな……すまん」
 目を逸らして呟くように言うロイをハボックがじっと見つめる。あまりにじっと見つめられて居心地が悪くなり、ロイはハボックを下ろしてソファーに座ると本を手に取った。コチコチと時計の音だけが響く部屋の中、ロイは半ば意地のように本を捲り続ける。内容など全く頭に入ってこない本を睨みつけていると、いきなりハボックがロイと本の間に潜り込んできた。
「ハボックっ?」
「ろーい!」
 驚くロイの頬にハボックはチュッとキスしてにっこりと笑う。そうしてロイの膝の上で万華鏡を頭上に翳した。
「ろーい!!」
 ハボックは翳した万華鏡をクルクルと回して見せる。時折片目を瞑って万華鏡を遠目に覗いてはロイを見てニコニコと笑った。
「ろいっ、ろぉいっ!」
 たったひとつの言葉で一生懸命気持ちを伝えようとしているハボックを目を見開いて見つめたロイは、くしゃりと顔を歪める。
「ありがとう、ハボック」
 ロイは呟くように言って膝の上の小さな体を抱き締めた。
 そうして。その日から代わり番こに万華鏡を覗くのが二人の楽しい日課になった。


2015/07/04


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