第二十七話


「今日もいい天気だな」
 別荘を出て歩いていけば、やがて林が途切れて湖の畔に出る。太陽の光を反射してキラキラ光る湖面を横目に見ながら二人はボート乗り場へと歩いていった。
「ろーいっ」
 ボートが繋がれている乗り場が見えてくると、ハボックがロイの手を引っ張る。急かすハボックに歩みを小走りへと速めて、ロイはボート小屋に辿り着いた。
「あ、いらっしゃい」
 二人を覚えていたらしい係の男がハボックの手を繋いだロイを見て笑みを浮かべる。それに「やあ」と返してロイは続けた。
「今日は釣りの道具も頼むよ」
「いいですけど、ちょっと時間が遅いからあまり釣れないかもしれませんよ?」
「……ろーい」
 係の男がそう言うのを聞いてハボックが目を細めてロイを見る。寝坊を責める視線を受け流してロイは釣りの用意を頼んだ。
「竿と魚籠、それからこれにエサが入ってますから」
 男はそう言いながら小さなケースの蓋を開ける。ロイと一緒に覗き込んだハボックがピッと悲鳴を上げて飛び上がった。
「ろ〜い〜ッッ」
「ん?どうした、ハボック」
 ロイは箱の中のミミズを摘んでハボックを見る。それを見たハボックが物凄い勢いで逃げだし、五メートルほど離れた木の後ろに隠れた。
「ああ、これか」
 ロイはウニョウニョと動くミミズを見て言う。箱に戻してハボックに近づこうとすれば木の陰から顔を出したハボックがブンブンと首を振った。
「そんなに嫌がらんでもいいのに」
 ロイはため息混じりに言いながらも水道を借りて手を洗う。そうまでしてからやっと近づくロイを、木にしがみついたハボックが目をまん丸にして見上げた。
「ちゃんと洗ってきたからいいだろう?」
 そう言ってロイは手を開いて見せる。それでも自分からは出てこないハボックにため息をついて、ロイは手を伸ばすとハボックを抱き上げた。
「ろーい……」
「もうミミズはついてないよ」
 心配そうに自分を抱く手を見つめるハボックにロイは苦笑する。ボート小屋に戻れば二人の様子を見ていた係の男がクスクスと笑った。
「じゃあエサはこっちにしましょう」
 そう言って男が見せた箱の中をハボックが恐る恐る覗く。そうすれば赤いツブツブが入っているのを見て、ハボックが心配そうにロイを見た。
「これはイクラだよ、ハボック。魚の卵だ。間違ってもミミズが生まれてきたりしないから安心しろ」
 そう聞いてハボックがホッと息を吐く。ロイはハボックを下ろすと釣りの道具一式を受け取って乗り場に行った。先にボートに乗り釣り道具を置いてからハボックに手を伸ばす。係の男の手を借りて乗り込んでくるハボックの手を取るとボートの中央に座らせた。
「今の時分だと湖のあの辺りがいいと思います。あそこ、高い木が見えるでしょう?あの辺り」
「判った、ありがとう」
 体を捻って男が指差す先を確認したロイは礼を言ってオールを握る。途端に張り切り出すハボックを脚の間に座らせた。
「いってらっしゃい」
 ボートを押し出して手を振る男にハボックが嬉しそうに手を振る。ひとしきり手を振るとオールを掴もうとするハボックにロイが言った。
「ボートなら後で漕がしてやるから今は急いでポイントに向かおう」
「ろーい〜っ」
 ロイの言葉にハボックが思い切り不満そうな声を上げる。それに構わずロイはオールを漕ぎ続けた。
「早くしないと魚が釣れないぞ」
「……ろぉい」
「判った、後でリベンジさせてやるから」
 漕ぐ手を休めずにロイが言えばとりあえず納得したハボックはボートの縁に寄る。「落ちるなよ」と言うロイの言葉に頷きながらも、ハボックは小さな手を湖に浸した。
「ろーいっ」
「波が立つんだろう?面白いか?」
「ろいっ」
 にっこりと笑ってハボックは両手を浸けてみたりパンパンと水面を叩いてみたりする。楽しそうに水と戯れるハボックに笑みを浮かべたロイは、辺りを見回して言った。
「そろそろだな。ハボック、水遊びはやめてこっちにおいで」
 ロイに呼ばれてハボックが側に寄ってくる。ロイがオールを操れば、ボートはゆっくりと止まった。
「ハボック、ここからは大声でのお喋りは禁止だ、いいな」
 ロイがどこか悪戯っぽく言えば、ハボックが期待に目を輝かせてロイを見上げる。
「ろーいっ」
「さあ、釣りを始めようか」
 ピンと犬耳を立たせたハボックの金髪を撫でて、ロイはにっこりと笑った。


2012/09/27


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