| 天鵞絨の檻 第三章 |
| 「ヒィ……アア……ッ」 ベッドに押さえ込んだ躯がビクビクと震えて硬直する。組み敷いた相手の首筋に顔を埋めていたヒューズの唇が捲れて鋭い牙が覗いた。ヒューズは躊躇うことなく白い首筋に牙を突き立てる。抉るようにグッと牙が食い込めば、硬直していた躯が一際大きく震え、そうしてガクリとベッドに沈み込んだ。 「……フン」 ヒューズは首筋から顔を上げ乱暴に口元を拭う。手足を投げ出して横たわる躯をそのままにベッドから降りると、服を身につけ部屋から出た。 場末の安宿は深夜ともなればフロントに人の姿などない。ヒューズは無人のロビーを抜けると扉を開けて通りへと出た。 「不味い……ろくなもん食ってねぇな」 ペッと地面に唾を吐いてヒューズは呟く。懐から煙草を取り出し、口直しとでも言うように咥えて火を点けた。 一人飲んでいたバーのカウンターで声をかけられた。媚びた様子で隣のスツールに座った青年は明らかに商売と知れ、普段なら相手にしないそんな売り子の誘いに乗ったのは、ただその青年が金髪碧眼の持ち主だったからに過ぎなかった。だが、ホテルの部屋で間近から覗いた瞳はヒューズが思ったような空色ではなく深い青で、そのことに苛立ったヒューズは乱暴に青年を抱いた挙げ句、加減を誤って必要以上のエナジーを取り上げてしまった。朝になれば冷たくなった躯がホテルの従業員によって発見されるだろう。おそらくは単なる売り子の変死事件として処理され、ろくな捜査も行われないまま売り子の遺体は街外れの共同墓地に埋葬される筈だった。 ヒューズにとって街で暮らす人間は食料であり、永遠に続く日々の退屈を紛らわす愛玩人形でしかない。その生死になど何の興味も感慨も湧かなかった。 「…………」 ヒューズは煙草をふかしながら夜の街を歩いていく。日中はまだ暑いものの今この時間はもうすっかり空気は秋の気配を色濃くし、時折涼しい風が吹いていた。夜は闇に属する者の時間であり、ヒューズは懐くように纏わりついてくる空気の中大きなスライドで通りを歩いていった。その時。 「ッ?!」 「わっ?!」 丁度さしかかった角を曲がってきた人物と肩がぶつかる。ムッとして相手を睨んだヒューズは、振り向いた相手の顔がよく知ったものであることに気づいた。 「あ……ヒューズさん」 ほぼ同じタイミングで気づいたらしいハボックが、一瞬見開いた目を細めて笑う。取り落とした本を拾い上げて汚れをはたくハボックにヒューズは言った。 「珍しいな、こんな時間に会うなんて。デートでもしてたか?」 時計の針はそろそろ夜中の一時を回ろうと言うところだ。そう尋ねるヒューズにハボックは苦笑して答えた。 「仕事っスよ。今日は当番だったんで」 掃除やらなにやらで遅くなってしまったのだと言って、ハボックは小首を傾げてヒューズを見る。 「そういうヒューズさんこそ、デートだったんでしょ?」 「なんでそう思う?」 決めつける言葉に不快げに眉を寄せて尋ねれば、ハボックが言った。 「だって、誰かのコロンの匂いがするっスもん」 そう言ってクンと空気を嗅ぐ仕草をするハボックにヒューズは目を瞠る。それでも否定するでもなく肯定するでもなく見つめれば、ハボックが居心地悪そうに目を逸らした。 「すんません、余計な事言ったっス」 例え本当にデートだったにせよ触れられたくない事もあるだろうと、もごもごと謝罪したハボックはそれ以上余計なことを言う前にと「じゃあこれで」と手を上げる。だが、歩き出す前に伸びてきたヒューズの手に腕を掴まれて、ハボックは驚いたようにヒューズを見た。 「一杯つき合えよ」 「えっ?」 「それとも誰か待ってる相手でもいるのか?」 「や、そんなのいないっスけど」 狭いアパートで待っているのは主人に忠実な犬だけだ。それもおそらくは眠っているだろうと思われ、ハボックは小さく首を振った。 「いいっスよ。明日は休みだし、つき合います」 「イイ子だ」 ハボックの言葉にヒューズは笑ってハボックの手を引き寄せるとその甲に唇を寄せる。チュッと口づける男に、ハボックは顔を赤らめた。 「おっ、女の子じゃねぇんスから!」 言って手を振り解こうとするが、ガッシリと手首を掴む手はビクともしない。覗き込むように見つめてくる昏い瞳が紅く光ったように見えて、ハボックは目を見開いた。 「あ、あの……ちゃんとつき合うっスよ……?」 手を離して欲しくてハボックはそう言ってみる。だが、ヒューズはハボックの手を離すどころか腕ごとハボックの体を引き寄せ、腰を抱くようにして歩きだした。 「ヒューズさんっ?」 「いいじゃねぇか、つき合ってくれんだろ?」 「そっ、そうっスけどっ」 だからといってこんな風に寄り添って歩く必要はないはずだ。なにより恥ずかしくて何とかその腕を解こうとしていたハボックは、聞こえてきた声に間近にあるヒューズの顔を見た。 「……さっき食った奴、すげぇ不味かったんだよ。口直し……つき合えよ」 そう囁く男をハボックは驚いたようにじっと見つめる。それからにっこりと笑って言った。 「いいっスよ。それなら近くにいい店があるんです。この時間でもやってて、酒だけでなく結構旨いもん出してくれんの」 そこに、と言うハボックに、だがヒューズは首を振った。 「いや、場所は俺に決めさせてくれ」 「はあ、いいっスけど」 じゃあ、その店は次回行きましょうと笑うハボックにヒューズは目を細める。 (口直し……楽しませて貰う) 上等な愛玩人形を手にして昏い笑みを浮かべたヒューズは、金色の光を放つハボックを夜の闇の中へ誘い込むように通りを歩いていった。 |
| 「愛玩人形」 |
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