髭騎士 眼鏡の日編


「知ってます?少尉。今日は眼鏡の日なんですよ」
「へぇ、そうなの?」
 朝の挨拶もそこそこにフュリーが言う。知らなかったと言いながら自席に腰を下ろすハボックの方に身を乗り出してフュリーは続けた。
「それでね、今夜ブラッスリー・バルバラで眼鏡コンテストがあるんです」
「眼鏡コンテスト?」
 聞き慣れないコンテストにハボックが首を傾げれば頭上から声が降ってくる。
「知ってるぜ、それ。眼鏡が一番似合う人を決めるんだろ?」
「ブレダ、ファルマン」
「あ、おはようございます」
 肩越しに見上げればブレダとファルマンが立っていた。おう、と短く朝の挨拶を返してブレダはハボックの机に寄りかかり、ファルマンは自席に座る。懐から取り出した煙草に火をつけてブレダは言った。
「なに?フュリー、それに出るのか?」
「ええまあ、折角だし出てみようかなって」
「アンドリュー少尉も出るって言ってましたよ」
「ええ?本当ですかっ?」
 ワイワイとコンテストの話で盛り上がる同僚達の会話を何とはなしに聞きながら、ハボックは今ここにはいない男の顔を思い浮かべる。
(眼鏡かぁ……、まぁ、似合ってるっちゃ似合ってるよな)
 そう思えば脳裏に浮かんだヒューズがニヤリと笑うのを見て、ハボックは僅かに眉を顰めた。
(絶対言ってやらねぇけど)
 言えばすぐ調子に乗るのが目に見えている。鬱陶しく“もっと言って”と言われるのは嫌だと思ったハボックは、ふと“似合う”と言えばずっと眼鏡を掛けさせられるかもと考えた。と言うのも。
(眼鏡越しでないと凶悪なんだもん、あの人の目)
 ベッドの中、眼鏡を外したヒューズに見つめられると何もかも暴かれるような気がする。あの常盤色には何も隠し事が出来ず、ハボックはヒューズのあの常盤色の瞳が大の苦手だった。
(嫌いって訳じゃない、寧ろ好きだけどさ……でも)
 と、ハボックが思えば頭の中のヒューズがニッと笑って眼鏡を外す。
(わわ……外すなよっ)
 自分の想像のヒューズにすら狼狽えていると、訝しげな声が聞こえた。
「――――ック、それでいいか?」
「えっ?」
 顔を覗き込むようにして聞かれてハボックは目を丸くする。どうやらハボックが話を聞いていなかったらしいと察して、ブレダは眉を寄せて言った。
「なんだ、聞いてなかったのか?」
「ごめん、ちょっとボーっとしてた」
 ヒューズの事を考えてましたとは言えず、アハハと笑って誤魔化すハボックにブレダはしょうがねぇなぁと言いつつ繰り返してくれる。
「だから、今夜みんなでフュリーの応援に行こうって。仕事終わったらそのまま行くんでいいだろ?」
「あ、ああ」
「じゃあ今日は残業しないように頑張ろうぜ」
 ハボックが頷けばブレダがみんなに向かって言い、ハボック達はそれぞれに仕事にかかった。

「フュリー、凄いじゃん」
「やあ、皆さんのおかげです」
 コンテストを終えて仲間達がいるテーブルに戻ってきたフュリーを、ハボック達は拍手で迎える。特別賞の賞品のワインをさっそく開けて飲み始めれば、めでたい雰囲気と相まって忽ち場が盛り上がった。ハボックも一緒になってグラス片手に話していたが、ふと視線を感じて店の入口に目をやる。そうすればそこに佇む人影を見て、ハボックはガタンと椅子を蹴立てるようにして立ち上がった。
「ハボック?」
「ごめん、ちょっと」
 不思議そうに見上げてくるブレダに短く答えてハボックは入口に向かう。扉を押して外に出たハボックがキョロキョロと辺りを見回していると、不意に伸びてきた手がハボックを路地裏に引っ張り込んだ。
「中佐っ」
「よお」
 驚いて声を張り上げるハボックにヒューズがニヤリと笑ってみせる。引き寄せられるままヒューズの腕の中に囲われて、ハボックは言った。
「なんでここに?」
「んー、眼鏡コンテストって聞いて、いても立ってもいらんなくなって」
「……もう少しマシな嘘言ったらどうっスか?」
 眉を寄せるハボックの頬に音を立ててキスをして、ヒューズはクスクスと笑う。相変わらず本音を見せないヒューズにハボックがため息をつけば、ヒューズは愛しげに金髪をかき上げて言った。
「なあ、俺とアイツらだったらどっちが眼鏡似合う?」
「そんなの知りませんよ」
 ツンとつれないハボックにヒューズは苦笑する。ヒューズはハボックの顎を掴んで正面から見つめて言った。
「そんな事言わずに教えろよ」
(近いってば!)
 こんなに近くから見つめられては眼鏡のフィルターも役にたたない。目を逸らしたものの視界の隅に入る常盤色の光にハボックはゾクリと震えて唇を噛んだ。
「やっぱ可愛いな、ジャン」
「はあっ?いきなりなに言って――――」
 クスクスと耳元に囁かれて、ハボックは思わずパッと振り向いてヒューズを見る。その途端、眼鏡越しの常盤色に捕らえられてハボックは身動きが出来なくなった。
「なあ、俺とアイツらとどっちが似合う?」
「――――ア、アンタに決まってるっしょ」
「ホント?」
 ボソボソと言えば途端に嬉しそうな顔をするヒューズにハボックは視線をさまよわせる。ヒューズはハボックの顎を掴んで薄色の唇に舌を這わせながら言った。
「じゃあ、ずっとお前の前では眼鏡かけとくかな――ベッドの中でもさ」
「ホント?よかった」
 もしそうなら助かるとハボックが思わず安堵の表情を浮かべれば、途端にヒューズの眉間に皺が寄る。そんなヒューズにハボックは慌てて己を囲う腕から抜け出そうとしながら言った。
「そ、そろそろ戻んないとッ!みんなが心配するしっ」
「ジャン」
 だが、ヒューズは抜け出そうとするハボックを店の壁に押し付けて押さえ込んでしまう。ズイと顔を寄せてヒューズは囁いた。
「よかったってなんだよ」
「いや、だからオレ、アンタの眼鏡顔好きだしっ」
「違うな、今の“よかった”は違う」
 ヒューズはそう言うと眼鏡を外す。
「正直に言え、ジャン」
「ッッ、やっぱ凶悪……っ」
「は?」
「いや、なんでもな――」
「ジャン」
 間近から覗き込む眼鏡(フィルター)なしの常盤色に、ハボックが白状させられるのにさして時間はかからなかった。


2012/10/01