髭騎士 髭の日編


「大佐、この書類にサイン ────」
 ノックもそこそこに執務室の扉を開けたハボックは、サインを貰おうと書類を差し出した格好のまま凍り付く。ハボックの声に顔を上げたロイの鼻の下をまじまじと見つめた。
「──── なんスか、それ」
 漸くそれだけ絞り出すようにハボックは言う。そんなハボックにロイはにんまりと笑った。
「どうだ、カッコいいだろう?」
 そう言うロイの鼻の下にはチョロッと髭が生えている。八の字に左右に伸びたそれはカッコいいというよりナマズの髭のようだった。
「ただのエロ親父に見えるっス」
 ハボックが素直にそう感想を口にすれば、ロイがムッと眉間に皺を寄せる。
「失礼な奴だな、私のどこがエロ親父だ」
 口髭を扱いてそう言うロイにハボックが首を傾げた。
「いきなりどうしたんスか?朝はなかったっスよね?」
 確か朝ロイと顔を合わせた時、こんな髭はなかった筈だ。顔のほぼ中央にあるそれを見落とす訳はなく、ハボックがそう尋ねればロイが答えた。
「今日は髭の日だそうだよ。だから錬成術で生やしてみた」
「髭の日?なんで?」
「さあな、この髭が八の字に似てるからじゃないか?」
 そう言ってロイが指で上向きに捻り上げた髭は確かに八の字と言えなくはない。
「髭の日だからって髭生やします?フツー」
「いいじゃないか、一度生やしてみたかったんだ」
 今日は一日これで行くと、妙に上機嫌なロイにハボックは呆れたため息をつく。
「なんでもいいっス、サイン下さい」
「なんだ、その言い方は。お前にも髭を生やしてやろうか?」
「謹んでお断りします」
 いらねぇよ、そんな髭と思い切り嫌そうな顔をすれば、サインしないと言い出すロイを宥め賺してサインを貰うとハボックは執務室を出た。
「なんなんだか、一体」
 ハボックがそう呟いてため息をついた時、ブレダが司令室に戻ってくる。「おう、ハボ」と声をかけられて視線を向けたハボックは、ブレダの鼻の下に張り付くちょび髭を見て目を見開いた。
「ブッ、ブレダっ?なに、それッ!」
「おう、似合うだろ?大佐に生やして貰った」
 カッコいいだろとニッと笑って言うブレダにハボックはげんなりと肩を落とす。妙なところでノリがいい友人に何か言おうとしたハボックは、連れだって入ってきたフュリーとファルマンの顔にも髭が生えているのを見て開いた口をあんぐりとさせた。
「あ、ハボック少尉、どうですか?僕の髭!カッコいいでしょう!」
「偶には髭もいいものですな」
「お前もどうよ、ハボック」
 ニコニコと笑う三つの髭面に、ハボックはげっそりする。
「いい、遠慮しとく」
 ハボックはそう呟くように言うと、三人を押しやるようにして司令室を出た。そのまま廊下を歩き階段を上って屋上に出る。広い屋上を横切って手すりに寄りかかると、ハアとため息をついた。
「何が髭の日だよ、まったく暇なんだから」
 事件がないのはいいことだが、わるふざけにもほどがある。煙草の煙を吐き出して、ハボックは短くなった煙草を携帯灰皿に放り込んだ。
「髭、かぁ……」
 そう呟けば遠距離恋愛中の恋人の顔が思い浮かぶ。悪戯っぽく笑う眼鏡の奥の常盤色の瞳が頭に浮かんで、ハボックはため息をついた。
「中佐……」
 会いたい、と胸の内で呟いたハボックの耳に。
「呼んだか?」
 たった今思い浮かべた人物の声が響いて、ハボックはギョッとして振り返った。
「な……なんでここにいんのッ?!」
「お前が呼んだから」
 驚くハボックにヒューズがサラリと答える。そうすればハボックが眉を顰めてヒューズを睨んだ。
「嘘ばっか」
「なんだよ、実際呼んでたじゃねぇか」
「空耳っしょ」
 ツンと顔を背けて言うハボックの耳が真っ赤になっている事に気づいて、ヒューズは薄く笑う。ゆっくりとハボックに近づくと、ハボックの体を囲い込むように手すりに手をついた。
「俺に会いたくなかったのか?ジャン」
 意地悪くそう囁く男をハボックは睨み上げる。それでも、そんな風に睨んでいたのはほんの僅かな間で、ハボックは腕を伸ばすとヒューズの体を掻き抱いた。
「アンタの髭が一番カッコいい」
「ん?なんだって?」
 肩口に顔を埋めて言った言葉を聞き取れず不思議そうな顔をするヒューズに。
「何でもねぇっス」
 ハボックは笑うと自分から口づけていった。


2012/08/08