俺様な皇帝と恥ずかしがり屋の騎士の話16


「ああ、疲れた……」
 とっぷりと日も暮れた通りを重い足取りで帰ってきたハボックは、漸く辿り着いたアパートの階段を見上げる。これをまだ三階まで上らなければ我が家に帰れないのかと、ハボックはうんざりしたため息をついた後、仕方なしに階段に足をかけた。
「こういう時は一階にしとけば良かったってつくづく思う……」
 己の趣味と防犯の意味で三階の部屋を選んだが、こうして疲れて帰った時は階段を上らずに帰れる部屋がいいと思う。誰かおぶって部屋までつれて帰ってくれないだろうかなどと考えながらも何とか三階まで上がったハボックは、廊下の隅に座り込む人影にギクリと身を強張らせた。
「……中佐?」
 ふらりと立ち上がるその影がよく見知った男だと気づいてハボックは目を瞠る。
「帰ったんじゃなかったんスか?」
 驚いてそう尋ねれば、ヒューズが剣呑に眉を寄せた。
「帰ってなかったら都合が悪いのか?」
「いや、そういうわけじゃないっスけど、大尉に早く帰ってこいって怒られてたっしょ?」
 あの電話の後、ヒューズは司令室に戻ってこなかったとロイは言っていた。だからてっきり帰ったとばかり思っていたのだ。そう言いながら部屋の扉を開けて入れば当然のようにヒューズがついてくる。今この時間に帰れといったところで最終列車は出てしまった後だろう。駅のベンチで寝ろと言うのも気の毒で、ハボックはため息をつきながらも何も言わずにヒューズを通した。
「メシ食います?ろくなもんないんスけど」
 ハボックは言いながら冷蔵庫を開ける。卵とベーコンくらいしか入っていない冷蔵庫に、ベーコンエッグが晩飯じゃ寂しいだろうかと考えていたハボックの耳にヒューズの声が聞こえた。
「今までどこで何をしていたんだ?」
「はあ?司令部で仕事に決まってるっしょ」
 こんな疲れた顔をしている男がどこかで酒でも飲んできたように見えるとでもいうのか。うんざりしてため息をつけばヒューズが低い声で言った。
「ロイと一緒だったんじゃないのか?」
「そりゃ一緒だったっスよ?大佐も残業だったし」
 ハボックはフライパンを引っ張り出しながら答える。
「ジャガイモ、マッシュにしたら食います?」
 俯けていた顔を上げて芋を手にそう尋ねたハボックは、食い入るように己を見つめているヒューズに気づいて目を丸くした。
「執務室の奥にはベッドもシャワールームもあったな。そうか、あそこなら誰にも気づかれずにヤり放題ってわけか」
「……は?」
「俺にさっさと帰れと煩いのは“私の犬”とか言われて可愛がられてるからだなッ」
 突然そんな事を言われてハボックはポカンとする。その言葉の意味を漸く脳味噌が理解して、ハボックはキッと目を吊り上げた。
「なんスかっ、それッ!なんで俺が大佐とヤらなきゃならねぇんスかッ!なんでそんな話になんのッ?」
 訳が判らんと怒鳴るハボックにヒューズはボソリと答える。
「髪」
「は?」
「シャワーの後、タオルで拭いただけの髪型とセットした髪が変わらんとロイが言っていただろう?ヤった後、シャワーを浴びた後のお前を見ているからあんな事を言ったんじゃねえのか?」
 そんな事を言うヒューズをハボックは呆気にとられて見つめた。
「あのね、演習の後は汗塗れ泥塗れでシャワー浴びなきゃやってらんないんスよ!オレのシャワーの後の濡れた髪なんて、大佐だけじゃなくて司令部中みんな見てますッ!」
 バッカじゃねぇの?とウンザリとため息をつくハボックをヒューズはじっと見つめる。
「じゃあロイとは」
「なんもありません」
「“私の犬”というのは」
「単に部下って言う意味っしょ!当たり前じゃないっスか」
 いい加減にして欲しいとげんなりするハボックをヒューズは探るように見ていたが、ハボックの言葉に嘘はなさそうだと判るとフゥと息を吐き出した。
「納得した?」
 そんなヒューズにやれやれと息を吐いたハボックは、遅い夕飯の準備にかかろうとする。だが、近づいてきたヒューズに腕を掴まれて、まだ何かあるのかと尋ねるようにヒューズを見た。
「だったらお前は俺のわんこって事だな?」
「へ?……はぁ、まあ……そうっスね」
 違うと思わないでもなかったが、普段からわんこ扱いされているし今ここで違うと言って収まりかけた波風を再び立てる事もないだろう。そう思って曖昧に頷くハボックにヒューズが言った。
「それじゃあこれを嵌めさせろ」
 ヒューズはポケットに手を突っ込むと何やら引っ張り出す。その手にある紅い革の首輪をまじまじと見つめるハボックにヒューズは繰り返した。
「お前は俺のわんこなんだろ?だったらこれを嵌めさせろ、ジャン」
 繰り返し言われて、ハボックはピクリと震える。紅い首輪から視線を上げて、ハボックはヒューズを見た。
「冗談っスよね?」
「冗談な訳ないだろうっ!それを証拠にお前の白い肌にあう首輪を一日かけて探してきたんだ。見ろ、いい紅だろう?どぎつくもなくだからといって年寄りくさくもない、いい紅だ。革だってお前の肌を傷つけないよう最高級のものをえらんでだな――――」
「中佐」
 色々悩んで最高のものを選んだのだと熱く語る言葉をハボックは遮る。「ん?」と首を傾げる髭面を上目遣いに見上げてハボックが言った。
「アンタ、首輪探すのに今日一日費やしたんスか?」
「ああ、大変だったんだぜ?でもおかげで納得のいくもんが見つかった。さあ、ジャン、俺のわんこらしくこの首輪を――――、……ジャン?」
 嬉々として言いかけたヒューズはハボックの様子がおかしい事に気づいた。
「えと……ジャンくん?」
「なにが“納得のいくもんが見つかった”っスか、なぁにが“俺のわんこらしく”っスか、こ、の」
 震える声で呟いてハボックはヒューズを睨む。
「エロ髭ッ!いい加減にしやがれッ!!」
 深夜のアパートにハボックの怒声が響き渡ると同時に、固く握り締めたハボックの拳がヒューズの腹にめり込んだのだった。


2013/07/05