俺様な皇帝と恥ずかしがり屋の騎士の話10


「なにやってんだろう、オレ……」
 夜の道を当てもなく歩きながらハボックは思う。立ち止まって何とはなしに見上げれば白く輝く月がぽつねんと空にかかっているのが淋しくて、ハボックはため息をついた。
 アパートの隣人を殴り、恋人に八つ当たりし、仕事を放り出してしまった。その上仕事を放棄した謝罪をしにいけば上司に気を遣わせてしまってさえいる。
「ホント、なにやってんだろ……」
 このままいつまでもうろついていては明日もまともに仕事にならないのは目に見えている。ハボックは肩を落として足元を見つめた。
「アパート、帰んなきゃ」
 帰ればまたあの男に何か言われるかもしれないが、その時は無視するしかないだろう。
 ハボックはため息をつくと重い足をアパートに向ける。俯いたまま通りを歩き辿り着いたアパートの階段をのろのろと一段ずつ上がったハボックは、自分の部屋の前にうずくまる影にギクリとして足を止めた。
「……中、さ?」
 呟くように言った言葉に答えるようにうずくまっていた影がゆらりと立ち上がる。そうすれば弱い廊下の灯りに照らし出された顔を見て、ハボックは目を見開いた。
「どこに行ってた?」
「なんでここにいんの……?」
 低い声で囁かれた問いかけに答えず呆然とハボックは呟く。その瞬間ヒューズの手が伸びてハボックの胸倉を掴んだ。
「こんな時間まで誰とどこにいた?」
 グイと胸倉を掴み上げて尋ねてくる物騒な常盤色にハボックは息を飲む。グイグイと締め付けるように迫られて、ハボックはヒューズの手を乱暴に振り払った。
「アンタに関係ないっしょ」
 短くそう言い捨ててハボックはポケットから鍵を取り出す。鍵を鍵穴に差し込もうとするハボックの肩をヒューズがグッと掴んだ。
「関係ない?そんな訳ないだろうッ」
 ヒューズは掴んだ肩を引き寄せるようにしてハボックを振り向かせる。
「様子がおかしいと聞かされて、いきなり電話で大嫌いと言われて!関係ない訳ねぇだろう?俺達付き合ってんだぞッ!」
「ッ、そんな事デカい声で言うなよッ!誰かに聞かれたら……ッ」
 ギョッとして辺りを見回すハボックの様子に、ヒューズはムッと眉を顰める。ハボックの顔を覗き込むようにして間近から囁いた。
「俺と付き合ってんのを知られるのはそんなに嫌か?俺と付き合うのは隠さなきゃならないほどみっともない事かよッ!」
 ダンッとハボックの肩越しにヒューズが部屋の扉を思い切り殴りつけた時。
「なんだよ、痴話喧嘩?」
 突然聞こえた声にハボックの体がギクリと凍りつく。キュッと唇を噛み締め俯くハボックの様子に、僅かに目を見開いたヒューズは声のした方を見た。
「どうも」
 そうすれば右の頬を赤黒く腫らした男が下卑た笑みを浮かべて立っている。胡散臭そうに男を見てヒューズは言った。
「誰だ、お前?」
「アンタのカノジョの隣のもんだけど」
 男はそう言ってハボックを見る。
「いやぁ、カノジョのあん時の声、ホントイヤラシイよなぁ。一体アンタ、カノジョに何してんの?男ってそんなにイイもんな訳?」
 男はニヤニヤとして言いながら二人のすぐ側まで来た。ヒューズとハボックの顔を順繰りに覗き込むようにして続ける。
「さっきカノジョにも言ったけどさ、イヤラシイ声聞かされてすんげぇ迷惑してる訳よ。んでさ、迷惑料で一度カノジョとヤらせてくんない?男同士なんてどうせ貞操観念なんてありゃしないだろうし、男とスんのがすげぇイイって判れば俺もあんな声だしても仕方ないって思えるじゃん?」
 ベラベラと男が勝手な事を言っているのを聞きながらヒューズはハボックの顔を見る。羞恥にうっすらと涙を浮かべて唇を噛み締める様を見た瞬間、ヒューズの手にダガーが握られていた。
「それ以上くだらねぇ事言ってるとその口削ぎ落とすぞ」
「ヒ……ッ」
 目にも留まらぬ速さで喉元に突きつけられたダガーに、男は目を剥く。ヒューズはダガーの刃を男の首筋に押し付けて低く囁いた。
「言っとくがな、コイツに余計なちょっかい出してみろ。ただじゃおかねぇ」
 常盤色の瞳に浮かぶ本気を見て取って男がガクガクと頷く。逃げるように自室に戻ろうとした男をヒューズが引き止めた。
「待て。どうも既にちょっかい出したみたいだよな」
「な、何もしてねぇって!ホントだっ!」
 慌てて否定する男にヒューズはニッコリと笑う。
「そうか?」
「そうだよッ、手なんて出してねぇっ」
「ふぅん、だが生憎だったな。コイツを泣かせただけで十分罪に値すんだよッ!」
 そう怒鳴ると同時にヒューズの拳が炸裂する。左頬を思い切り殴られた男はアパートの廊下をゴロゴロとぶっ飛んでいった。


2012/12/04