変化6〜鬼その後


「オレはただみんなと仲良くしたいだけなんスよ」
 そう言って空色の瞳が切なく伏せられるのを見た時、ろいは自分の居場所を捨ててもその願いを叶えてやりたいと思った。


 意識がゆっくりと浮上して、ろいは目を開ける。いつまでたっても見慣れぬ天井を見上げて、ろいはため息をついた。
 今日もまた同じ夢を見た。あの村でささやかな幸せを抱き締めて暮らしていた頃の夢だ。村の中でたった一人、輝く黄金色の髪と空の色の瞳を持った故に虐げられていたはぼっく。彼と過ごす優しい時間がろいはとても好きだった。同じ空気を吸い、同じ時間を過ごすそれだけで、ろいは幸せでとても満たされていた。だが、はぼっくが彼の容姿が異質だというそれだけで彼を虐げていた村人達と仲良くしたいと強く願っていることを知り、ろいは自分の幸せを捨ててでもその願いを叶えてやろうと思ったのだ。そうしてろいは狂った陰陽師を演じ、はぼっくはろいから村を守った英雄として漸く村人達から受け入れて貰えるようになった。その代償としてろいとの絆を失って。
 ろいは顔を洗って簡単に食事を済ませると粗末な小屋から外へと出る。生まれ育った村を出て流れ着いた小さな村は、出自の判らぬ陰陽師にも優しかった。
 秋の風に吹かれて、ろいはゆっくりと歩いていく。綺麗に晴れ渡った空は手放してしまった幸せの色と同じで、ろいの胸をチクリと刺した。緩く首を振ってろいが胸の痛みを追い出した時、背後から陽気な声がかかる。
「やあ、導師さま。今日もいい天気だね」
 振り向けば男が鍬を片手にニコニコと笑って立っていた。男はろいが村に来た当初、住む家やら何やらを世話してくれた村のまとめ役だった。
「やあ、おはよう」
 ろいは答えて笑みを浮かべる。男は歩くろいの隣に並んで歩きながら言った。
「そう言えば導師さま、確か山二つ越えた先から来たって言ってたよね?」
「ああ」
 来た当初、どこから来たのかと尋ねられ、そんな風に答えたのを思い出す。男はろいが頷くのを見て言った。
「その辺りにある村が鬼に襲われたんだって」
「え?」
 男の言葉にろいはギクリと体を強ばらせる。男はろいのそんな変化には気づかず続けた。
「旅の行商人の話なんだけどね、なんでも人間の倍も背丈がある金の髪をした鬼が、村の中で暴れてもう何人も村人が殺されたって言うんだよ」
 男の話を聞く内、ろいの顔から血の気が引いていく。流石に男もろいの様子がおかしい事に気づいて言った。
「導師さま?大丈夫かい。もしかして導師さまが知ってる村だとか?」
 心配そうに尋ねてくる男をろいはじっと見る。ひきつった笑みを浮かべて答えた。
「いや、多分違うだろう。それに、鬼だなんて何かの見間違いじゃないのか?」
「そうですかねぇ。確かにその行商人は直接見た訳じゃないって言ってましたけど」
「だろう?何かトラブルはあったかもしれんが、鬼なんていやしないよ」
「そうか、そうですね」
 きっぱりと断言されて男はホッと息を吐き出す。噂を聞いて少し不安になっていたのだろう、ろいに感謝するように笑って、男は畑の方へと歩いていった。男の姿が見えなくなって、ろいは足早に家へと戻っていく。まさかと思う反面、不安はどんどん大きくなった。
「何を心配しているんだ、私は。はぼっくは村人達と一緒に幸せに暮らしているのに」
 自分に言い聞かせるようにろいは何度も呟く。だが、抑えようとすればするほど、不安は大きくなるばかりだった。


 ろいは険しい山道をかつて住んでいた村を目指して懸命に歩く。結局、ろいは不安を打ち消せないまま、村へと戻る道を辿っていた。
(はぼっくはずっと望んでいたものを手に入れたんだ。幸せに暮らしているに決まっているじゃないか。なにがこんなに不安だと言うんだ)
 ろいは歩きながら必死に自分に言い聞かせる。このまま村に戻ったところで何事もないに決まっている。ろいが戻ったりしたら、一芝居うったのがバレるときっとはぼっくは迷惑に思うに違いない。だが、そう思いながらもろいは足を止めることが出来なかった。そうして寝る間も惜しんで歩き続けたろいが目にしたのは。
 すっかりと荒れ果てた故郷の村。打ち壊された家の壁にべっとりと残る黒ずんだ染みは、明らかに血の痕だった。
 ろいは人影が見えない村の中をたった一人の姿を探して必死に走り回る。その時、狭い路地からヨロヨロと男が走り出てきた。
「おい!一体なにがあった?!」
 ろいは男の肩を掴んで揺さぶる。男は恐怖に血走った目でろいをみつめて言った。
「助けてくれっ!みんな殺されたッ!このままじゃ俺も……ッ!」
「殺されたっ?一体誰が」
 ろいがそう言った時、男が細い悲鳴を上げる。ろいの肩越しに向こうを見つめて言った。
「赦してくれッ、じゃん!俺たちが悪かった!だから殺さないで…ッ!!」
 男はそう叫んで這うようにして逃げていってしまう。ろいは男が言った言葉に打たれたように目を見開いた。
「じゃん…?」
 信じられないというように呟いて恐る恐る振り返る。するとそこには。
 手に鉈(なた)を持ち狂気の宿った瞳で立ち尽くす背の高い姿。薄汚れた金髪をボサボサに伸ばし、血走った空色の瞳にはかつての優しい面影はなかったが、それは確かにはぼっくだった。
「どうして……?」
 鉈にこびり付いているのが血痕と判ってろいは掠れた声で問う。だが、はぼっくは虚ろな瞳でろいを見つめただけだった。
「はぼっく」
 ろいは見つめてはぼっくを呼ぶ。二歩三歩とはぼっくに近づいたろいは、突然振り下ろされた鉈からすんでのところで身をかわした。
「はぼっく!」
 ろいはゴロゴロと転がった勢いで地面にうずくまったまま叫ぶ。はぼっくの空色の瞳が自分を見ていない事に気づいてゾッと身を震わせた。
「どうしてこんな事に…?」
 どんなに虐げられようと優しさを失わなかったはぼっく。そのはぼっくがこんな風に変わってしまった理由が、ろいにはどうしても判らなかった。はぼっくは暫くの間ろいを見つめていたが、フイと顔を背けるとフラフラと歩き出す。数軒先の民家の前に立つと手にした鉈を振り下ろした。バキバキッと音を立てて粗末な扉が壊れる。はぼっくが壊れた扉から足を踏み入れれば中から悲鳴が聞こえた。
「はぼっく!」
 悲鳴にハッとしてろいははぼっくの後を追う。部屋の隅に身を寄せ合う親子の前に立ちはだかるはぼっくをろいが止めようとした時、はぼっくの唇から零れた言葉にろいは目を見開いた。
「ろいをどこへやったの?」
「し、知らないッ!俺たちは何も…ッ」
「ろいを返して」
 はぼっくは言ってズイと近づく。ヒーッと悲鳴を上げる親子に向かって鉈を振りかざすはぼっくにろいは咄嗟に指をすり合わせていた。
「ヒィィッ!」
 鉈を持った手を焔に包まれたはぼっくを見て、親子の唇から悲鳴が上がる。だがはぼっくはただ己の手を焼く焔を見つめただけだった。鉈の木の柄が燃えて刃が床に落ちる。それを無表情に見つめたはぼっくは焔に包まれた手を親子に向かって伸ばした。
「キャーッ!」
「やめろッ!」
 ろいは親子の前に両手を広げて立ちはだかりはぼっくから庇う。そんなろいをはぼっくはじっと見つめて言った。
「ろいをどこにやったの?ろいを返して」
 空色の瞳に狂気を宿してそう言うはぼっくをろいは信じられないように見つめる。
「私が判らないのか……?」
 そう囁くように言うろいをはぼっくはじっと見つめていたが、刃だけになった鉈を拾い上げ、何も言わずに背を向けると民家から出て行った。ろいは慌ててはぼっくの後を追って扉から飛び出す。ふらふらと歩くはぼっくを追いかけるろいの耳にはぼっくの声が聞こえた。
「ろい……ろい、どこ…?」
 はぼっくは空色の瞳に狂気を宿してろいを呼び続ける。その心を抉るような切ない響きにろいは自分が犯した過ちに気付かされた。はぼっくの為によかれとした事はろいが何よりも好きだったあの瞳から優しさを消してしまっただけだった。結果、誰よりも優しかったはぼっくにこんな事をさせる羽目になってしまった。
「はぼっく、私は……ッ」
 自分の幸せを捨てた先に、はぼっくの幸せなどありはしなかったのに。
「はぼっく…ッ!」
 振り絞るように呼べば、はぼっくが振り向く。ろいは無表情に見つめてくるはぼっくを見つめて言った。
「すまなかった、はぼっく……。私は何も判っていなかった」
 ろいは言ってはぼっくに手を伸ばす。見つめてくるはぼっくに笑いかけて言った。
「私はここだ、はぼっく。もう何処にも行かない。ずっと一緒にいよう」
 そう言って手を差し伸べるろいをはぼっくはじっと見つめる。その顔に笑みが浮かんだ次の瞬間、はぼっくが手にした鉈をろいに向かって振り下ろした。血で汚れた刃がろいの体を切り裂き真っ赤な血が噴き出す。ろいはふらりと傾いだものの、倒れずに伸ばした手ではぼっくを抱き締めた。
「独りにしてすまなかった、これからはずっと一緒にいよう」
 ろいはそう囁くとはぼっくを抱き締めたまま指をすりあわせる。ゴオと吹き上がった焔が一瞬にして二人の体を包み込んだ。
「……ろい?」
 その時、はぼっくの瞳が初めてろいを見る。
「帰ってきてくれたんスか、ろい」
「ああ、ひとりにして悪かったな」
 そう言えばはぼっくが嬉しそうに笑った。
「よかった…もう何処にも行かないで下さいね」
「何処にも行かない。私たちはいつまでも一緒だ」
 そう言うろいにはぼっくが幸せそうに笑う。しっかりと互いを抱き締めあった二人を包み込んだ焔は高くたかく燃え上がり、秋の空を真っ赤に染め上げていったのだった。


2010/09/30


「変化6〜鬼」の続きですー。何続き書いてるんだと言われそうですが、だって「堕ちるなら一緒に堕ちたらいい」なんてだれかが囁くから(笑)これはハッピーエンドなのか、取り方次第かなー、ふふ。