6.下がらないネツ


(頭がガンガンする)
 朝目が覚めた時から頭痛がするとは思っていた。だが、執務室の机の上に山と積まれた書類や、びっしりと会議の予定で埋まったスケジュール表を思い浮かべれば、とても休むわけにはいかない。ロイはため息をつくと頭痛薬を口に放り込んで家を出た。


 パタンと扉が閉まる音がして、ロイはフッと目を覚ます。うっすらと開いた目で辺りを見回したが、カーテンを引いて薄暗い部屋の中には誰の姿も見えなかった。
(……いつ家に帰ってきたんだっけ)
 朝から数えて三つ目の会議に出ていればクラクラと目眩がして止まらなくなった。会議の出席者が話す内容も、配られた書類に書かれた文字の意味も、全く頭に入ってこない。気がつけばホークアイに心配そうに見つめられていて、体調不良を理由に会議半ばで席を立った時にはラッキーぐらいに思っていたのだが。
『渋いっつうか……変なジイさんっスよ』
 普段と違う掠れた声がなんだが楽しくてハボックに自慢げに言えばなんともつれない返事が返ってきて文句を言った辺りまでは覚えているのだが。
(着替えてる……)
 襟元の柔らかい感触がパジャマだと気づく。あんな状態でよく着替えたものだと思った次の瞬間、目の前に空色の瞳が浮かんだ。
(そういえばハボックがいたような)
 僅かに顔を赤らめて大きく目を見開いたハボックの顔が脳裏に浮かんでロイは眉を寄せる。どうしてハボックのそんな顔が浮かぶのか、ロイにはよく判らなかった。
(あんな顔、私に見せるはずがない)
 まるで好きな相手に触れられたかのように赤らんだ顔、揺れる想いを湛えた空色の瞳。
(ハボックは私のことなどなんとも思ってはいないんだから)
 ハボックの事が好きだと気づいたのはいつの事だったろう。素直で明るい部下をずっと眩しい想いで見つめてきた。自分とは違う屈託のない性格や誰をも惹きつける明るさが好きだった。軍人としての高い能力を認めて手元に置きたいと思う以上に一人の個人としてハボックを側に置いておきたいと思いながらそんなことを口に出来るはずもなく、気の置けない上司を演じてどれだけ経つのだろうか。直属の部下であるのをいいことに『奢ってやる』と飲みに誘い、家まで送らせて『帰るのが面倒だろうから泊まっていけ』と相手の迷惑も省みず引き留めた回数も、片手の指の数では足りなくなってきていた。少しでも一緒にいたくて必死に絞り出した理由もそろそろ底をついてきた。それなのにハボックを求める気持ちは一層強くなるばかりで、ロイは強くなる想いをどうすることも出来ず持て余すばかりだったのだ。
(側にいて欲しいという気持ちが強すぎるから幻を見たのか……)
 それほど迄ハボックが好きとは、自分が哀れですらある。恐らくここまで送ってはくれただろうが、仕事もあればロイを看病する理由もないハボックがいつまでもここにいる筈がないのだ。
(馬鹿な事を考えてる間に眠ろう。早く治さないと中尉がカンカンだ……)
 そう思えばスゥッと引き込まれるように眠りに落ちていく。熱でふわふわと漂うような眠りの中、うつらうつらしていれば不意に遠くから声が聞こえた。
「大佐……」
 切ない想いを秘めた声。ハボックの声にも聞こえたがそんな筈はないとロイは夢現の中否定する。その時。
「起きないとキスしちゃいますよ……?」
 唇に息が吹きかかる距離でそう声が聞こえたと思った次の瞬間、唇に柔らかい感触が降ってきた。
(……え?)
 それがなんなのか判らず、ロイはうっすらと目を開ける。そうすればよく見知った顔が焦点が合わないほど間近に見えて、ロイは状況が判らずポカンとして目の前の顔を見つめた。
 クチュと自分の唇から水音がしてキスされているのだと気づく。合わせた唇を通してハボックの呼吸が己の呼吸と混ざりあうのを感じれば、カアッと一気に熱が上がった。まるで時間が止まったような気がする中、ハボックの唇の柔らかさと息遣いだけが感じられる。フッとハボックが離れる気配がして、ロイは慌てて目を閉じた。
「病人なのに……オレってサイテー……」
 そう呟く声が聞こえる。
(なん……どう言うことだ?まさかハボックが私を……?)
 突然の事にドキドキと胸が鳴って益々熱が上がった気がする。下がらないネツに身も心も熱せられて、ロイはすぐそこにいるハボックの存在を嫌というほど感じていたのだった。


2010/12/10