9.ダウンライト


「とにかくまず風呂に浸かれ」
 家に入るなり浴室に直行して湯船に湯を張りながらロイが言う。ロイが側を離れた途端、急に寒さを感じてハボックはブルリと震えた。
「大佐だって疲れてるっしょ?オレなら平気っスから先に───うわっぷ!」
「震えてる奴がなに言ってる。いいからさっさと入れ、芯まで暖まるまで出てくるなよ」
 ロイはハボックの顔にタオルを投げつけて言う。ハボックの脇をすり抜けて浴室を出ていこうとすれば、タオルを握り締めたハボックが言った。
「一緒に入ります……?」
 その声に思わず振り向けば目元を染めたハボックが見つめている。だが、ロイはハアとため息を一つついて行ってしまった。
「……今のため息、なに?」
 ちょっぴり傷ついてハボックは呟く。それでもぐずぐずしていると段々寒くなってきて、ハボックは慌てて服を脱ぎ捨てると浴室の中へと入った。ドボドボと湯船に注がれる湯から濛々と上がる湯気で浴室の中はすっかりと暖まっている。ハボックは手早く体と髪を洗うと丁度よく溜まっていた湯船の中に体を沈めた。キュッと蛇口を捻って湯を止めれば急に静かになった気がする。ホッと息を吐いて目を閉じれば自然と笑みが浮かんだ。
「大佐……」
 聞こえた声に弾かれたように顔を向ければ街路灯の下こちらを睨んで立っていたロイの姿を見つけたことを思い出して、ハボックは笑みを深める。あの時、どれほど自分が嬉しかったか、ロイは気づいていただろうか。駆け寄ってきたロイの吐息を感じながら交わした口づけに、乾ききっていた自分の心が再び生き生きと呼吸を始めたのを、ロイは判っているだろうか。
「すげぇ好き……」
 そう呟けば湯船の中で若い牡が熱を帯びてくる。ハボックはザバリと湯船から出ると体を拭くのもそこそこに浴室から飛び出した。
「たいさッ」
 バンッとリビングの扉を開けると、ちょうど両手に持ったマグカップをテーブルに置こうとしていたロイと目が合う。体から湯気を立ち上らせタオル一枚手に持ってリビングに飛び込んできたハボックに、ロイは盛大なため息をついた。
「お前は!なんて格好してるんだ」
「だ、だって…ッ」
 言われてハボックは自分の姿を見下ろして顔を赤らめる。ロイはソファーの上に放り出してあったブランケットを取り上げるとまだ水気の残るハボックの体を包み込んだ。
「大佐、オレ…ッ」
「待て」
 ピシリと鼻先に指を突きつけられてハボックは黙り込む。キョトンと見開く空色を見つめてロイはソファーを指さした。
「座れ」
 言われるままハボックはストンとソファーに腰を下ろす。ロイはテーブルに置いたカップを取るとハボックに手渡して言った。
「飲め。利口な犬ならご主人が風呂に入ってくる間、いい子で待っていられるだろう?」
 ロイはニヤリと笑ってそう言うとハボックの濡れた髪をクシャリとかき混ぜる。まだ随分と濡れているそれに顔を顰めると「ちゃんと拭いておけよ」と言いおいてリビングを出ていった。
「…………駄犬でいいもん」
 ハボックは言って尖らせた唇をカップに付ける。甘いココアが口の中に広がれば、尖らせていた唇が自然と笑みに解けた。
「おいし……」
 ココアの甘さが体にも心にも染み込んで行くような気がする。ホッと息を吐けばガチャリと扉が開いて、ロイがあっと言う間に戻ってきた。
「……大佐、はえぇ。ちゃんとあったまってきたんスか?」
 烏だってもっとちゃんと浴びてくるんじゃなかろうかというくらい短時間で戻ってきたロイに、ハボックが思わずそう言えばロイが顔を顰める。ボスンとハボックの向かいに腰を下ろしてカップに手を伸ばすとロイは言った。
「うちの犬は躾がなってないからな。待ってられないだろうと思って早く戻ってきてやったんだろうが」
 バスローブの裾を蹴りあげて脚を組むとソファーにふんぞり返ってロイはココアを啜る。ダウンライトの柔らかい光の中、濡れて輝く黒髪を見つめてハボックは言った。
「そっち行ってもいい?大佐」
「待て、と言わなかったか?」
「…………」
 意地悪く笑って言うロイにハボックがムゥと頬を膨らませる。両手で包み込んだカップに背を丸めて口を付けながら『意地悪』だの『馬鹿』だのブチブチと呟いているハボックにロイはククッと笑った。
「……大佐」
 そうすればハボックが恨めしげにロイを見る。ロイは手にしたカップをテーブルに置くと腕を広げて言った。
「おいで、ハボック」
 言って笑うロイにハボックが弾かれたように立ち上がる。テーブルを乗り越えてハボックは、ロイの腕に飛び込むと噛みつくように口づけた。


2010/12/03